2010-07-01から1ヶ月間の記事一覧

理由あり。しかし、

日本にとって中国は、ある種とくべつな国である。日本人にとって、といいかえてもいい。 歴史的にみれば “兄貴” のような国であり、とくに近年はその兄貴にすこぶる迷惑をかけてしまった。迷惑どころではない。太っ腹な兄貴も、そのことだけは忘れない。 僕…

たかがファッション、されど

日本ではいまだにチョンマゲをした侍が街を闊歩し、女はみな着物すがたの芸者ガールである。 などと、最近まである国の教科書にそう紹介されていたらしい。ちょっと詳細は忘れてしまったが、先進国だったような気がする。 その伝でいうと、中国では男はみな…

貴州の3人娘

貴州省ときいて、おおそうか、とうなずく日本人はきわめて少ないと思う。 地理的には、知名度の高い四川省の南東である。日本のお笑い芸人が、自分の出身地の田舎度を笑いネタにするような、そんな地域かもしれない。 実際データによれば、中国の行政区分(…

落差の問題

2年前の夏、湖北省の省都、武漢市へ行った。 上海にもどるため、天河空港でチェックインしようとした。カウンターでe-チケットの控えをみせたのだが、40がらみの女性服務員が仏頂面で発したのは、「没有(メイヨー:ないよ)!」だった。 しばらく固まってい…

日語難嗎(第二次)

日本語は、はっきりしたルーツがわからず、世界のどの言語グループにも属していない。モンゴル語やトルコ語、ハンガリー語などと同じウラル・アルタイ語族にふくめる学説もあるが、大勢ではない。 言語というのは、その民族が長い時間をかけてみがきあげ、築…

日語難嗎(第一次)

日本語はむずかしい言語である、と思っている日本人は少なくないと思う。 日本語は膠着語に分類されるので、たとえば助詞や助動詞の使い方などは、非膠着語圏の話者からみればたいへんわかりにくい。また、敬語やウチとソトのことばも多様で、当の日本人だっ…

アンタッチャブル・ゾーン

思い立ったが吉日、というではないか。そう、きのうはその吉日のハズだった…… S市から西へ20kmほど行くとK鎮という行政区がある。日本でいえば郡のような感じだろうか。そのK鎮のなかにS村というところがある。 そこには「蔡氏古民居」という名の清朝閩南建…

にびいろの朝

朝は心地よい鳥のさえずりで目がさめる。すがすがしい朝だ。あくびのひとつもしながら窓をあけると、向かいのマンションの若妻と目があった。一瞬ほほえんだように見えたのは、錯覚か。でも、今日いちにちステキな時間をすごせそうだ。 そんな朝を一度でもむ…

はじめてのおつかい

こう暑いと、日中の外をあまり長く歩くことはできない。 このまちは路線バスが充実していて、市内とその近辺ならたいがいのところへは行ける。それに夏場のバスはクーラーがきいていて快適だ。 しかし、すでに何回もバスを利用したが、いまだに料金のシステ…

誘惑の間諜

神でも降りてくれれば、残りの人生、教祖として楽に生きていけたものを。とつぜん脳裏に降りてきたのは、架空の人物の固有名詞。 イリヤ・クリヤキン。 ボニョの父親フジモトが、海底の奥深く秘密の井戸にしまってあったような人名。それが、何十年ぶりかに…

夜の侵入者

子どものころ、夏になるとよく「虫」を捕った。虫というのは、おもにクワガタやカブトムシのことだ。 僕の家はむかしながらの集落に属していて、その集落の入り口に小さな神社があった。今は少し様子がかわってしまったが、そのころは社を守るように木々が森…

毎日の食べること

きのう今日と、多少は涼しい。お〜っ、32〜3度で涼しく思うようになるとは。 ひとり暮らしなので、毎度まいどの食事がめんどうくさくなる。いきおい、外食にたよってしまうわけだが、どうしてもパターン化してしまう。 まちには、庶民が利用する、たいていは…

ひゅーまの星

このまえの記事(このブログ)の落ちを書くのを忘れた。ただでさえ錆びついてきている思考回路が、暑さで適当に休んでいるようだ。 どくしょな〜。これが落ちなのだった。 「どくしょな」は形容詞である。僕の出身地で使われている方言で、「情けない」と同…

本をめぐるある種の儀式

まずは、品定めをするようにじっくりとながめる。そして、おもむろに腰巻きをそっとはずす。 すみません。これ本の話しです。腰巻きというのは、新刊の表紙カバーのうえにさらに巻いてある、あの半ピラの宣伝用カバーのことです。 つづき。さらにカバーも取…

ボリュームの問題

中国へくる前は、フリーランスで仕事をしていた。去年の秋まで、となり町のアパートの一室が仕事場だった。 例のリーなんとかショック以来、日々やせ細る仕事量を挽回することもなく、絶滅危惧種のようになっていた。僕は毎日、割れた皿をかぞえて暮らしてい…

マニュアル考

重い十字架を背おう、といういい方がある。しかし、仏教の国としてその言い回しはいかがなものかと、ときどき思う。たとえば、重い数珠を首から下げる、とか、高い布施を要求される、なんてのはどうだろう(ちがうか)。 あのPK戦はほとんど運である。とはい…