ボリュームの問題

 中国へくる前は、フリーランスで仕事をしていた。去年の秋まで、となり町のアパートの一室が仕事場だった。
 例のリーなんとかショック以来、日々やせ細る仕事量を挽回することもなく、絶滅危惧種のようになっていた。僕は毎日、割れた皿をかぞえて暮らしていたのだ(暑いので、少しは涼しいでしょうか)。
 その仕事場の近くに幼稚園があった。コンビニや郵便局も近かったので、よく歩いてそのそばを通ったが、こどもたちが運動場で遊ぶ姿にはずいぶんと癒された(死語だな)。
 ところがあるとき、ひとりの男の子から金網ごしに声をかけられて、ずいぶんうろたえてしまった。
 日本は大都市を別として、地方都市の住宅地などを昼間歩いている人はきわめて少ない。ましてや、くたびれているとはいえ、まだ就労年齢の男だ。怪しくみられてもしかたがない。僕に非はないのだが。
 職員がとんでくる前に足早にその場をはなれたものの、そんな行動をとらざるをえない自分が情けなかった。職員にマークされては、今度から通れないからね。僕に非はないのだが。
 さて、中国である。
 通りを歩いていると、ときどき声をかけられる(ような気がする)。しかし、このS市はいわゆる有名観光地ではないので、外国人とみるや声をかけてくる連中はいない。だから、僕に声をかけてきたわけではなく、僕の近くか、よりとおくにいる人に声をかけているのである。
 少しは慣れたが、声が大きいからおどろいてしまう。だいたいみんな声がでかい。暑いからなぁ。いやいや、13億のなかで生きぬくには、主張しなければいけないのだろう。
 もちろんたくさんの人が歩いているし、ここではスクーターも大流行だ。まちでは、きっかけがあればふつうに話しかけられたり、かまわれたりもする。
 人、声、音。日本の静かな、というより死んだような商店街や閑静な住宅地にくらべると、じつにパワフルで密度が濃い。ときどき疲れる。
 CCTVニュースチャンネルをみていると、日本のニュースがきわめて少ない。ほとんどない、といっていい。政治も経済も低迷する日本は、もっと大きな声を出さないと忘れさられてしまうだろう。
 今日は休日。うかつにも真昼に外出してしまった。37度。
 バスで東湖公園へ行った。カップルがたくさんくっついていた。暑いのにな。僕がそばを通るとあわててはなれるカップルもいた。でも、僕に非はないのだが。(^_^)
(photo:カップルの聖地? 東湖公園)