マニュアル考

 重い十字架を背おう、といういい方がある。しかし、仏教の国としてその言い回しはいかがなものかと、ときどき思う。たとえば、重い数珠を首から下げる、とか、高い布施を要求される、なんてのはどうだろう(ちがうか)。
 あのPK戦はほとんど運である。とはいえ、失敗した選手は重い十字架を背おったことだろう。気の毒でしかたがない。とにかく、ロシアン・ルーレットのようなゲームに日本は負けた。
 ところで、中国CCTVのスポーツ中継。あれはもう少しなんとかならないのか、と思う。司会者と解説者とアシスタント、その3人が画面の下方に配置されていて、その背景に試合中継が映されるのである。しかもその3人のおしゃべりがメインの音声として流れているので、試合会場のふんいきはほとんどなしだ。まあ、異国で観られるだけでもしあわせなのだろうけど。
 他国のルールにケチをつけてもしかたがない。いいところもあるのだ。
 たとえば、商店でマニュアルことばを聞くことがない。「いらっしゃいませ〜、こんばんは〜」「ごちゅうもんのほう、いじょうでよろしかったでしょうか」「いちまんえんからおあずかりいたしま〜す」などのアレである。
 こちらでは、たいていのレジの人は不きげんだ。営業スマイルなど、宝くじが当たった日にだってしないにちがいない。
 このまえなどは、レジ打ちの若い娘にいきなりまくしたてられた。原因は果物。はかり売りなのに、そのままレジに持ってきてしまった僕がわるいのだけど、初めてだからそんなこと知らないもんな。自分の娘にだって声を荒げられたことがないのになぁ。
 語学力さえあればもう少し対抗できるのだが、今はおつりを放ってよこされても、肩をすくめ、シエシエというほかはない。
 寛大な気持ちになってみれば、これがいいところである。人間味があっていいのである。日本の店の機械のような店員よりよほど清々しい。ちょっとつらいけど。
 さて、学校は夏期集中コースがはじまった。入学した学生は、教師の目がとどく範囲の少人数である。これから2ヶ月、ハードな毎日がはじまる。9月に、4月入学生と合流するために。
 マニュアルが通用しない。失敗すれば、教師たちは重い数珠を首から下げることになる(やっぱり変か)。(;O;)
(photo:中国は鍵社会である。自分の部屋へ行くまでいくつもの鍵が必要だ)