はじめてのおつかい

 こう暑いと、日中の外をあまり長く歩くことはできない。
 このまちは路線バスが充実していて、市内とその近辺ならたいがいのところへは行ける。それに夏場のバスはクーラーがきいていて快適だ。
 しかし、すでに何回もバスを利用したが、いまだに料金のシステムがわからない。
 市内の中心部ならだいたい1元で、夏場はクーラー代を1元プラスする。乗車口のバスのボディに行き先の料金を表示してはあるが、それがじつにアバウトなのである。日本のようにきめ細かくはないし、社内に料金が表示されているわけでもない。
 ワンマンバスなので、料金は乗るときに運転手の横の料金箱に入れる。もちろん両替機などはないので、おつりはでない。もっとも、ほとんどくしゃくしゃな紙幣が多いので、それを認識して処理する両替機など開発不可能だろう。
 ときどき車掌が乗っているバスもあり、そんなときは車内で切符を買うことになる。ところが、気のせいか車掌が乗っていると1元高いのである。美人車掌なら納得してもいいんだが。
 バス停でぼさっとまっていてもバスは停まってくれない。あのマヌケ顔は日本人にちがいないから、停まらないからな。と、思われているのかと思っていた。しかし、しばらくすると日本のように必ず停まってくれない、ということがわかった。バスが近づいてくると意思表示をしないといけないのである。
 路線番号がバスの前に表示されてはいるが、それがけっこう見にくい場合も多いので、とくに僕は近視だから近くにくるまでわからない。そして、判別できたときはすでにおそいのである。走り去るバスのうしろ姿に向かってバカヤローと叫ぶしかない。やらないが。
 初めてバスに乗って、東湖公園へ行こうとしたときは、あたりをつけたバスに乗ったのだが、とんでもない郊外へつれていかれた。気分は、子どもたちが小さいころに読んでやった絵本『はじめてのおつかい』の主人公みいちゃんの心境に近い。
 しかし、みいちゃんのように無事おつかいを終えて母親にほめられることもなく、郊外の灼熱の道ばたに放りだされただけだった。
 このまちの地図には、バスのおもな路線や経路はのっているが、日本のように行きとどいていないし親切でもない。だいたい地図そのものがおおざっぱである。1万分の1の市街地図など望むべくもない。
 いたれりつくせりの文化に育った日本人としては、感覚や触角の鈍磨はすなおに認めるとして、やはり中国13億の民のように、いたるところで主張しないといけないのである。
 その後の “おつかい” も失敗つづきである。(;。;)
(photo:昼下がりのバス停)