アンタッチャブル・ゾーン

 思い立ったが吉日、というではないか。そう、きのうはその吉日のハズだった……
 S市から西へ20kmほど行くとK鎮という行政区がある。日本でいえば郡のような感じだろうか。そのK鎮のなかにS村というところがある。
 そこには「蔡氏古民居」という名の清朝閩南建築博物館がある。まちが丸ごと保存されているのである。古いまち並みが好きな僕としては行かざるをえない。
 ところで、僕の部屋にはいちおうクーラーがある。しかし、日本の製品のように緻密ではなく、サーモ機能がすごくアバウトになっている。寝るために少し設定温度をあげると、部屋が暑くなってもなかなか冷やす作業をしてくれない。機嫌をとるのがたいへんなのだ。
 で、土曜の晩はからだを冷やしてしまった。それが吉日が凶日になる伏線だった。
 朝、市の中心部のバスだまりで、K鎮行きのバスに乗った。バスは市内のあちこちを回ってから一直線にK鎮へ向かう。市内をはなれると道も広くなり、バスはうれしそうにスピードを出す。道は舗装されてはいるが、継ぎ目や段差や穴、障害物がしょっちゅうあらわれる。おまけにバスのサスペンションがほぼ利いていないとくれば、日本のどんなバスだって快適に思えてくる。
 僕の体調は、K鎮に着くころにはすでに一刻を争う、脂汗たらりの状態だった。にもかかわらず、バスから降りた連中が、そのあたりで客を待っているバイクタクシーにちゅうちょなくまたがるのを見ると、つられて僕もそうしてしまった。
 おっさん同士の相乗り10分。放り出されたところは、とても博物館のようなところではなかった。どうも彼は知らなかったようだ。
 しかし、それより目下の最優先課題は「厠所」をさがすことだ。
 砂塵が舞う、西部劇にでも出てきそうな長屋の商店でたずねた。髭をたくわえたこわもての主人が怪訝な顔して、そしてまくしたてた。通じず、追いはらわれたようだ。
 すぐ近くの集落に下りると、のどかな家並みがつづいた。一瞬脂汗がひいた。ところが、庭先から黒い犬がとび出してきて向かってきた。僕は、集落のはずれまで足ばやに逃げた。
 大きな広葉樹のしたにベンチが設えてあり、そこに村の老人が涼んでいた。手帳に文字を書いて筆談をした。老人が指さした。おお、けっこう立派な厠所ではないか。
 また脂汗がわき出てきた。事を実行しないと手おくれになる。意をけっしてなかに入ると、ちょうどおじさんが天秤棒で桶をかつぐところにでくわした。おじさんはニヤリと笑うと、気合いを入れてかついで出て行った。
 それはまさしくあの中国式のトイレだった。
 間に合った。いやな汗はひいたが、すぐさま臭気といっしょにからみつくような暑さにおそわれ、今度はちがう種類の汗が滝のように流れ落ちた。(T_T)
(photo:牧歌的? 暑さのためとてもそんな詩情は……)