落差の問題

 2年前の夏、湖北省省都武漢市へ行った。
 上海にもどるため、天河空港でチェックインしようとした。カウンターでe-チケットの控えをみせたのだが、40がらみの女性服務員が仏頂面で発したのは、「没有(メイヨー:ないよ)!」だった。
 しばらく固まっているとじゃまになったのか、男の服務員が呼ばれ、僕たち(連れ合い同伴)は航空会社の営業カウンターにつれていかれた。
 そこの服務員も、パソコンをたたいたりどこかへ電話をしたりしたが、「メイヨー」の男だった。そのうちべつの服務員と雑談をはじめた。
 メイヨーじゃないだろ!えっ? オーバーブッキングかい?
 語学堪能なら、中国人のように早口で交戦するところだが、できることといえば日本語で小さく悪態をつくぐらいだった。
 よゆうで空港へやってきたのに、これでは詐欺にあったようなものだ。幸せが逃げるらしいが、深くため息をつきたいところだった。
 そのときやってきたのが、あの仏頂面の服務員。僕たちをふたたびチェックイン・カウンターにひっぱっていくと、有無をいわせず(いわないが)搭乗券を出してくれた。どうやら、空席か予備の席をあててくれたらしい。
 搭乗券とパスポートを渡してくれて、破顔一笑。あの仏頂面との落差。
 中国人はこれなのである。人々はけっして不機嫌でも意地悪でもない。おあいそ笑いをしない。表情はオンかオフなのである。中間がない。これが彼らの真骨頂。
 S市でも、表通りの商店ではときどき営業スマイルをみかけるが、地元民の生活区域ではおしなべて不機嫌面だ。その分笑顔を見せられたときには、少し得をした気分になる。
 しかし、そしらぬ顔でレジの列に割りこむ客。おつりをごまかす店員。油断もスキもありはしない。
 しだいに “中間” がなくなってきている自分に気づくのである。(-。-;)
(photo:名刹、開元寺の空を泳ぐ)