どこかへ“いらっしゃりたい”今日このごろ

 最近の若い者は敬語もろくろく使えない。なんてこったい、と嘆く年配者自身も、じつは怪しかったりする。
 日本人でもややこしい敬語を、外国人におしえるのもなかなかたいへんである。へえ〜そうだったのか、と思う日本語教師もいたりする。
 敬語をかんたんに分類すると、尊敬語、謙譲語、丁寧語、美化語に分かれる。謙譲語はさらに2つに分類されるが、ここでは省略する。
 なかでも難しいのが、尊敬語と謙譲語の使い方である。動作主がどちらか、ということを考えれば基本的なまちがいはしないが、それでも敬語特有の動詞を覚えなくてはいけないので、学習者は混乱する。
 たとえば「いらっしゃる」は、「行く」「来る」「居る」の意味で使う尊敬語である。
 日本人でもうまく使いこなせているかどうか。最近では、受身形の「行かれる」「来られる」「居られる」の方がよく使われているのではないだろうか。
 学生との会話例で、追試を受ける学生に「2時にB教室に来なさい」というと、学生は「では、2時に伺います」という。ちょっとおかしい。やはりここは「2時に参ります」だろう。
 謙譲語で答えているので、まちがいとはいえないが、そのちがいを理解させるのがこちらの腕の見せどころである。
 敬語は、相手との親疎の関係や上下関係によって変化してくるので、そうとうやっかいなシロモノだろう。
 おもしろい例をひとつ。「先生は漢字をあまり知りませんね」といわれるより、「先生は漢字をたくさん知っていますね」といわれるほうがカチンとくるのである。
 かなりの漢字を忘却してしまった僕でも、やはり職業柄必須の部分はそのフリをしているものだから、そこを突かれると、ちっ、と思ってしまう。
 そういえば、「先生は若いですね」といわれるのも、けっ、と思ってしまう。それは、あんたはトシだよ、といわれるのと同じだからだろう。(-。-;)
(photo:コロンス島にて)