系のなかで生きる

 エルニーニョラニィーニャということばは、ずいぶん一般的になった。
 どこかの一部の海水の温度が1度上がったり下がったりするだけで、地球全体の気候が変動する。
 人間は、地球の薄皮のような地表と大気のなかで暮らしている。それはひとつの「系」であり、そのなかで起こった自然の変化は、薄皮のなかにいれば、どこにいても多少の影響は受ける。
 その自然のなかで、人間はまた、様々な人間の「系」をつくっている。それは有機的に連動していて、バランスとアンバランスの間を揺れ動いている。
 今回の地震では、自然の変化によって、日本という系が大きくバランスを崩した。ところがそれはまだ進行形で、どこまで傾きどうやって立て直したらいいのか、まだわからない。
 指先に負った小さな火傷なら、時間はかかるがさほど日常生活に困らず治すことができる。しかし、火傷を負った面積が大きいと命にかかわることがある。
 今の日本はそんな感じだろうか。被災地の被害の規模は大きいものの、これほど日本のあらゆるシステムに影響を及ぼすとは、想像できなかった。
 加えて原発である。こちらは国内にとどまらず、国際社会にも大きな影響と波紋を投げかけている。
 広島と長崎が放射能にまみれたこの国が、ふたたび放射能で汚染されようとは、なんと不幸なめぐり合わせなのか。
 世界中から同情を集めている。支援も受けている。世界という大きな系のなかでは、日本もまたそちこちに、少なからず影響をあたえる小系だろう。
 しかし、世界から関心を示されるうちはまだいいが、原発の処理いかんによっては、厄介者扱いされかねない。そうなると、年老いた老人が路上生活を強いられるような国になるかもしれない。
 まあそれはない、と信じてはいるが、今回の災害と原発事故の前と後では、明らかにちがう日本である。少なくとも、前と同じにはもどれないだろうから。(;O;)
(photo:馬甲鎮、仙公山にて)