泉州で飲みに行く

 こちらに来てできなくなったことのひとつに、「飲みに行く」という行為がある。正確にいえばできないわけではないが、いわゆる日本的なその “ノリ” が不可能になったのである。
 環境が変わったのだからしかたがないとはいえ、ときどき無性にそれをしたくなる。たまに同僚の先生と、仕事が終わった後出かけることもあるが、それはたいてい「飲みに行く」のではなく「食事に行く」のである。
 中級以上の学生に、「飲み会」や「飲みに行く」という日本文化? を伝えようとしても、なかなかわかってもらえない。あたりまえだが。
 僕は、日本にいてもそうたびたび飲みに行くわけではない。酒飲みではないので、酒を飲むという行為自体が主目的ではなく、親睦のため、あるいはストレス発散のためにとる行為なのである。
 17年前にサラリーマンをやめてからは、“お付き合い” で飲みに行く、という状況がほとんどがなくなった。そのおかげで、本人だけが楽しい自慢話や、愚行でしかない “武勇伝” を聞かされる機会もめっきり減った。
 そういう飲み会は、一次会で消えるのが最善の策だ。しかし、それに失敗すると、その後は修行と思ってあきらめるほかはない。
 たいていは、誰かの行きつけのスナックなどへ流れることになるのだが、そこにはまちがいなく酒と煙草で声をつぶしたママなどがいて、客を楽しませることを知らないホステスたちがたむろしているのである。
 そうして、座をかさねるごとに人は解放されていく。飲むと人が変わる、といういいかたがあるが、それは逆だと僕は思っている。ハンドルを握ると人格が変わる人もいるが……。
 あれ? 「飲みに行く」から、もう少し文化的な、高尚な話しをするつもりだったが、書きはじめると人が変わってしまった。
 最近、今度の大震災に関連して、被災者の神経を逆なでするような発言をする政治家が散見される。まさか酔漢の暴言じゃあるまいし、情けないことである。(-.-#)
(photo:泉州市内、崇福寺にて)