自由は不自由か?

 中国では、政治と宗教の話しはタブーだった。
 学生相手の授業でも、危うく深入りしそうになることもあったが、危険を察知してなのか、学生のほうがあまり乗ってこなかった。
 中国政府に対するネガティブな話題はタブーではあるが、日本に対する批判や非難はまったく問題がない。考えてみればおかしな話しだ。しかし、たしかに外国人から自国の悪口をいわれれば、狂信的な愛国者でなくともあまりいい気はしない。
 その点日本は、今のところまだかなり自由である。ただの一般庶民が政府の悪口をほざいても、暗い夜道にとくべつ警戒する必要もない。
 ところがやはり日本でもタブーなのである。とくに組織内では、おそらく中国人よりタブーがしっかり息づいているような気がする。
 政治的側面では、日本のほうが圧倒的に自由度がある。しかし、一歩政治からはなれると、中国のほうがはるかに自由である。
 というと誤解を招くおそれがあるのでいい換えると、中国人のほうが、まちがいなく日本人より自由である。といったほうが、正確かもしれない。
 僕たちは自由であるにもかかわらず、その自由をうまく享受していないのではないか。もしかすると、自由を嫌っているのではないか。束縛を求めて安心しているところもあるのではないか。
 「目立つことを嫌う」「自分を殺す」「多勢に合わせる」「和を求める」ーー。そうすることも自由だが、その前に自由を放棄しているような気がするのである。
 民主党の党首選挙が行われるようだ。彼らの言動をみていると、かなり自由である。民主党に限らないが、選挙でどのような付託を受けたのかはとっくに忘れて行動している政治家がじつに多い。ほんとうに自由だ。
 僕たちのほうこそ自由に考え行動しなければ、3.11以降の日本はとても心配だ。ーーなどと偉そうなことを書いてしまったが、自由というのは、目標がないとかなり不自由なものだ。(^_^;
(photo:奈良、薬師寺にて)