国難去ってまた国難

 どうせあちこちでいろんな人が、似たようなことを発信しているのでひかえようと思っていたが、がまんできなくなった。
 それにしても奇妙であるーー。
 黄昏感が漂うとはいえ人もお金もあり支援者もいる組織が、勢いに乗る教祖「故意K氏」率いる、まだ組織としての体をなしていないミニグループに帰依するとは……。
 捨て身だとか苦渋の選択だとか、名を捨て実を取るとかいろいろいわれているが、正直なところ……情けない。
 反ABEの「受け皿」ができることは歓迎だと人はいうけれど、件の「故意K氏」はそのABE氏が率いる巨大グループに属し長年にわたり支えてきた人物である。
 二大政党復活? ブラックジョークである。どちらもず〜っと右のほうに寄っていて、寄り添うように並んでいるではないか。彼らから左側を眺めれば、地平線が見えるだろう。
 いってみれば、サッカーの広いコートの隅に選手が群がって、ボールの奪い合いをしているようなものである。しまいには敵味方の区別ができなくなる。
 そういうことだから、仮に二大政党になったとしても、これほど近くにいればいつなんど恋が芽生えかわからない。
 だから「受け皿」ではない。「受け皿」にしてしまうと、リベラルな人たちが消滅してしまう危険性がある。これは、リベラルな人たちが嫌いだと思っている人たちにとっても危険な話しだ。
 つまり、もしABE氏が消えても次のABE的な者が取って代わることになり、ABE政治の延長をすることになる。それは、さらに独裁的な反民主主義政権だろう。
 それにしても、スキャンダルや醜聞、不祥事で離党や辞職した先生方は凝りもせず、恥も外聞もなく再び出馬するんですね。その姿は滑稽どころか痛々しい。
 禊ぎをしてリセットしたい気持ちはわかるが、そこに議員としての矜持があるとは思えない(もちろん、みんなそうだとはいわないが)。
 ABE氏が、ほこりをかぶった過去の辞書から持ち出してきた「国難」ということば。彼ら極右の人たちが大勢を占めることこそ「国難」である。(-_-#)
(photo:台北のポスト)

ロードバイク求めて三千里(2)

 クルマを買いにいってすぐ乗って帰ってきた、なんていうシーンをアメリカ映画でときどき見たような気がする。
 日本ではそうもいかない。店頭の展示車を見て、「あっ、これください」などといって靴屋でシューズを買って履いて帰る、というようなわけにはいかない。
 自転車ならどうかーー。べつにややこしい手続きもなさそうだから、お金さえ払えばできそうだ。
 たしかにできるだろう。ママチャリや通勤通学自転車ならさほど問題ないだろう。しかし、ロードバイククロスバイクの場合は、体型や用途に合っていないと意味がない。
 自転車は人間が動力源だから、走ること自体が目的の場合、やはり運転しやすくてそれ用に設計された自転車がよかろう。
 そうなるとかんたんに、「あっ、それください」とはいかなくなるのである。そこで、自転車屋のオヤジ(あんちゃんの場合もあるが、総称として)の登場である。
 ぼくが知っている限りの自転車屋のオヤジは、総じてヘンクツである。昔から付き合いのある近所の自転車のオヤジ(トシなので今はほとんど修理専門)もそうである。
 何かのお祝いでもらった、量販の安価な自転車の修理を依頼したときは、こんなもん直せん! といわれ突き返された。
 実際直せなかったのかもしれないが、直す価値がなかったのかもしれないし、そもそもソレを自転車と認めなかったのだろう。腕のいい職人ゆえプライドがあり、逆に「自転車愛」を感じるのである。
 そう、キーワードは「自転車愛」なのだ。
 5年ほど前にクロスバイクを買ったときは、そのオヤジに紹介してもらった専門店に行った。ぼくの方もあまり知識がなかったのでいろいろ聞こうと思って行ったのだが、マニアックな常連の(ような)接客に忙しく、ある万人向けのメーカーのカタログを押しつけられてあしらわれた。
 今回のロードバイクのときも、近所に新しい専門店ができたので行ってみると、精悍な体型の若いあんちゃんに、「へ〜、ロードバイクが欲しいの? ふ〜ん」と上から目線で見下ろされ、ある海外の有名メーカーの高価なモデルを自慢げに紹介されあしらわれた。
 ぼくはどうも、スポーツ自転車に乗りそうもない顔をしているらしい。顔はこれしかないのでどうしようもないが、そこがヘンクツな自転車屋の勘にさわるのかもしれない。
 紆余曲折があって結局、話しのわかる自転車屋をみつけ新しいロードバイクを手に入れたわけだが、自転車は好きでもあの業界はどうも肌に合わない。
 「自転車愛」はひしひしと感じるが、シロウトの客の話しもちゃんと聞いてほしい。職人気質の方々が多いせいか、接客がうまいとはいえない。
 近年全国チェーンの量販店もあるが、そっちはそっちで少し物足りない感じがするので、自転車屋のヘンクツオヤジも貴重な存在かもしれない。(^_^;)
(photo:神戸のネコ)

ロードバイク求めて三千里(1)

 ぼくは何かをはじめるとき、まずはその方面の本を読んだり、道具から入ったりするほうである。そしてはじめてみて少しわかってくるころに、欲が出てくるのである。
 しかしその欲求を満たすことによって、さらに進化するか失敗するかは、実行してみないとわからない面もある。
 悩んだら前へーー。それは、ぼくの基本方針である。悩んでも前へ行けないこともある。いや、そもそも前へ行くことが不可能なことでは悩まない。
 ーーロードバイクが欲しくなった。あの、ハンドルがドロップしたタイプの自転車だ。
 クロスバイクは持っている。乗りやすいし、安いチャリだがそれほど不満に思ったことはない。いや、今でも不満はない。それは、高価な自転車に乗ったことがないからかもしれない。
 あえぎながら走っているとき、「シャーッ」(という音がするような気がする)と追い抜いていくのは、たいていロードバイクだ。
 もちろんそういう作りになっていることは知っている。一方、クロスバイククロスバイクの良さがある。愛着のある「一張羅」ではあるが、しだいに欲が芽生えてくるのは、自然な成り行きと思いたい。
 そう思うようになるというのは、その方面の知識や能力が身に付いてきて、もう少し前へ行きたいという向上心からだろう(と、都合のいい解釈をする)。
 ある経験が欲求の火に油をそそいだ。長い登りの坂道を足をパンパンにしながら走っているとき、後ろからやってきたロードバイクにいとも簡単に追い抜かれたのだ。
 恨めしげに、遠ざかる乗り手の背中を見やると、ずいぶんな肥満体型だった。ロードバイクが細く見え、今にもぐにゃりと曲がりそうな気がした。ーーショックだった。
 ロードバイクがスーパーチャリではないことはわかっている。乗り手の実力しだいである。
 まあそんなわけで、「新車」を発注してしまった。自転車一台を買うのに、ここまで「いい訳」してしまう自分の小心さにもあきれる。
 しかし自転車を買うこと以前に、自分に合った自転車屋選びが、これほどめんどうだとは思わなかった。(つづく)(@_@;)
(photo:神戸にて)

国際隊、白山へ

 いい出しっぺじゃないが、うまいこと乗せられて先頭に立たされることがときどきある。おだてられて木に登ったサルのようである。
 仕向けたほうが巧者なので、乗せられたほうはスキがあったか、あるいは、まんざらでもなかったかである。あえて “木に登る” のも、ときとして悪くはないが……。
 というわけで、木に登ったわけではないが、先週山に登ってきた。行き先は白山ーー。あの日本百名山の霊峰白山である。
 と、おおげさにいい立てるほどでもない。地元民なら昔からのなじみの山であり、夏山シーズンならわりと気軽に登れる山だ。
 しかし、集まった連中が傍目を引くような陣容だった。日本語学習者の中国人、ネパール人、ベトナム人カンボジア人。そして、サポートする日本人を加えた、いわば国際隊である。
 外国人の在留資格も、技能実習生、エンジニア、留学生と多彩。日本人のほうも、職業日本語講師、ボランティア日本語講師、会社員、主婦とこれまた多彩だ。
 まあ、かなりアンバランスな集団なのである。案の定、若者主体の外国人とオッサンオバサン中心の日本人とでは足並みが揃うはずがなく、途中から二極分化してしまった。
 ぼくなどは一応「引率者」という役回りになっていたので、登山口の別当出合でえらそうに、「ゆっくり歩くことが疲れないコツだから、ぼくについてくるように」と、彼らに理解できるような日本語でゆっくり注意事項を述べた。
 コースに選んだ砂防新道は、のっけから高度感のある長い吊り橋を渡るので、すでに外国人の若者たちはハイテンション。「引率者」の御託などすぐに忘れ、ガシガシ登りはじめた。
 それでも、彼らのはやる気持ちをおさえながらぼくもついていったが、やがてオッサンはオーバーヒートしてしまった。
 しょうがないので、甚ノ助避難小屋の手前で「引率者」を放棄した。ムリに若者に合わせることはない。ま、山に限らないがね……などと哲学的思考にひたる余裕もなく、またヨタヨタと歩きはじめた。
 休憩地点で追いつくと、「先生、おそいね〜」と余裕で見下ろされ、彼らはまたさっさと先に登っていった。くやし〜。
 キミたち、今にきっとバテるからな、ヒヒ……と思っていたが、下山する翌日の最後までハイペースを保った。恐るべし若者パワー。
 断っておくが、ぼくはとくべつ遅い方ではない。トシはとっても標準的なコースタイムはたいがいクリアするのである。でも振り返ってみると、ぼくも若いころはコースタイムなど気にしたことがなかった。
 ところで最近あちこちの山で、外国人登山者を見かけることが多くなった。その多くは若い世代で、在留外国人の増加に沿った単なる比率の問題なのかもしれないが、ぼくは日本の若い世代が山に向かうようになった影響だろうと思っている。
 さて、我が「隊」であるが、1泊2日全行程天候にも恵まれ、火山地形により生まれた7つの池をめぐる「お池めぐり」や頂上で日の出を迎える「ご来光」を楽しむことができた。
 9月に入ってはいたが、ハクサンフウロやイワギキョウ、シモツケソウ、クガイソウなどがまだ残り目を楽しませてくれた。
 それにしても、多国籍なグループの共通言語が日本語、というおもしろさ。外国人同士が日本語でコミュニケーションする姿は、日本語講師としてニヤリとするような光景ではあった。(^o^)
(photo:上…御前峰2,702m頂上にて、下…北アルプスからご来光)

「受話器頭」男の欲求不満

 「俺の家ではもう 女房がヤキモチ もやしはじめてるらしい」
 森進一の歌で有名な『襟裳岬』ーー。思わずこの替え歌を思い出してしまった。
 にわかにクローズアップされた、その襟裳岬の上空をミサイルが飛んでいったそうだ。「上空」といってもほとんど「はるか」上空らしく、失敗しない限り問題ないレベルだ。
 しかし問題はその「失敗」にあって、そういう事態を想定して日本はうろたえ、慌てふためいているようである。
 頑丈な建物に避難しろ! 逃げろ! といわれても、どこへ逃げればいいのかわからないし、ミサイルをものともしない頑丈な建物など日本国中どこにもない。
 政府はしまいには、防空壕を掘れといい出しかねないし、竹槍を用意しろ、なんていう下知をとばすかもしれない。
 脅威や不安を煽る政府、ニュースになるからことさらおおげさに報道するメディア……いっしょになって踊ってはいけない。
 北の「受話器頭」の男はアメリカに向かって、「オレを男と認めろ!」「オレはここにいるぞ!」と叫んでいる。じつは、日本など眼中にない。
 そもそも彼が、我が国を攻撃する理由がない。ただ、アメリカの承認を得て、身の安全を図ろうと必死なのである。
 怖いのはあの男より、アメリカといっしょになって事を起こしたい(と思っている)我が国のトップである。もしそういう事態になれば、大魔神(古いね)がギロリとにらむように、「受話器頭」の男は米軍基地のある日本列島を見渡すだろう。
 そいう最悪のシナリオを避けるために、ぼくたちは過剰反応しないようにしたい。
 国民が激高、興奮すればするほど、“丁寧に説明する” ことが得意な我が国のトップを喜ばせることになる。被害を受けるのはアメリカではなく、日本や韓国である。
 しかし、たまに飛ぶミサイルより、毎日日本列島を飛び回るオスプレイのほうがよっぽど怖い。こちらのほうこそアラートを出してほしい。(-_-;)
(photo:夜市。台北

猛暑のちビール日和

 ぼくが勤めている日本語学校は今月いっぱい夏休みなので、毎日、ただ暑いあついといって朝からビールばかり飲んで過ごしていたかというと、そうでもない。
 朝から平気で酒を飲む人はたくさんいるが、ぼくはどうしても朝から飲む気になれない。断っておくが、それは道徳心からではない。
 理由のひとつは、朝ビールを飲んでもおいしくない、ということだ。早起きしてその辺の草むしりをして汗まみれになったとしても、冷蔵庫のビールには手がのびない。水かお茶を飲んでしまう。身体が、ノンアルコールのものを要求しているからだろう。
 どうも身体が、そういう仕組みになっているのだろう。それは、個人的な遺伝子のせいなのかもしれない。
 もうひとつの理由は、アルコールが回るといい気持ちにはなるが、それでその日が終わってしまうからである。とくに昼間のアルコールは効きがいい。
 何も予定がない日であっても、その日一日を棒に振ってしまうような気がするので、もしかしてそれは自分のセコい性格の反映だろうか。
 したがって、やっぱりビールは夕方からに限るのである。何かを成し遂げた日なら最高にうまいが、何もしなかった日もふつうにうまい。
 ところが最近おもしろいことに気がついた。ビールを飲む場所(まあ環境ですね)によって、ビールの味が大きく変わるのである。
 たとえば今夏は猛暑日も多く、夕方になっても30度を下らない日も多かった。暑ければ文句なしにビールがうまいか、といえばそれがそうではないのだ。サウナのなかでビールを飲む人はいないだろう。
 理想をいえば、日中の気温はせいぜい30度。夕方になって2〜3度低くなる。というようなシチュエーションがベストのような気がする。しかし、冷房のなかでは効果が低い。
 そういえば、猛暑だからといってビールの売り上げが上がるわけではない、というビール会社のデータも出ている。
 で、今日はというと、けっこう「ビール日和」なのである。ヒヒ (^_^)
(photo:台湾、九份にて)

薬師岳の休日

 薬師岳へ行ってきた。標高は2,926m。立山連峰の南、北アルプス屈指のジャイアントである。深田の百名山にも選定されている。
 薬師岳は、ぼくの地元石川県から近いというのに、どういうわけかこれまで足を向けなかった。
 理由はふたつーー。1泊2日ではかなりハードであり、かといって、山が大きいので2泊3日かければ楽だが、3日かけて登頂1山ではちょっとなぁ〜と、今風にいえばコスパが低いと感じるようなセコい気持ちもあった。
 もうひとつは、登山コースが途中の太郎平というところで分岐して北アルプス奥地の山々へ行けるとあって、ついついそっちを優先してしまった、という理由。
 つまり前者は、コースのバリエーションが組めないので敬遠していた、ということ。後者は、2泊3日あればより魅力的で豊富なコース設定ができる、という理由だった。
 しかし、それらはともに若い体力があって成り立つ話しだった。今では薬師岳を尻目に、2泊3日で雲ノ平や高天原黒部五郎岳をまわるなどというコース設定は、無理のうえに絶対がつくほど不可能な話しになった、いわば夢幻の話しになってしまったのである。
 要するに、昔はそんなことをやっていた、ということだ。ただ歩き回っていたに等しい。
 したがって、今回あらためて太郎平までのコースを歩いてみると、周囲の景色やふんいきがほとんど記憶に残っていなかった、ということがわかった。同行した連れ合いにも笑われた。
 つまるところトシをとった、ということだが、かつてのころのように何が何でも頂上をという気持ちもあまりなく、夏山にひたるだけで至福という境地になってきたので、多面的に山を楽しめるようになったのである。
 実際今回は、2泊3日の薬師岳ピンポイント山行であり、ずいぶん楽な行程だった。
 しかし、3日ともガスか小雨の天気で、薬師の頂上を目指した日も、ガスと本降りの雨で頂上直下の避難小屋跡で引き返した。ぼくが「百名山ハンター」だったら、這ってでも頂上を目指しただろうが、さすがに悪天候を楽しむ自虐性はない。
 ちょうどお盆休みの時期だったせいもあって、たくさんの人たちが入山していた。とくに今回印象に残ったのは、若者が多かったということである。
 しかも女性の単独行者も少なくなく、登山の裾野の広がりを感じさせた。北アルプスのような、コースや山小屋が整備され、ある程度人が多い山域は女性にとっても安心だろう。
 つい15〜6年ほど前までは、山は老人の憩いの場かと見誤りかねないほど中高年の巣窟であり、ぼくのような者でさえ「若いのに山へ来てえらいね〜」などと年配者からいわれたものである。
 もちろんあいまいな笑いで応じはしたが、「でもあなたより長いこと山をやっていますよ」と心で答えていた。
 まあ、山の世界はとても健全だった、ということである。あ、そうそう、外国人も少なからず見かけるようになった、というのも傾向だろう。
 そして、山小屋で飲むビールは最高だった。ちなみに350ml缶は600円。最近では生ビールのジョッキもあるが、こちらは1杯1,000円だ。(^-^)
(photo:薬師平にて。お花畑と頂上への道)