大人が問題

 絵本作家、五味太郎の本に『大人問題』(講談社/1996年)がある。大人向けのイラストエッセイだが、子どもの気持ちを代弁する彼独特のシニカルな視点が大人をドキリとさせる。
 「問題児」とされる子どもの背後には、必ず「問題親」の存在がある。
 先日北海道で行方不明になった男の子は、無事保護されてまずはよかったが、子どもを置き去りにしたとすれば、ふつうの躾からはやや逸脱していると思われる。
 圧倒的な力を持つ親がその力を行使すれば、それはもはや愛情ではない。虐待、もしくはイジメだろう。
 僕の家には土蔵がある。金銀財宝や先祖伝来の秘宝が収蔵されている……んなわけがなく、二束三文のガラクタとネズミの糞ばかりである。
 しかし、重厚な鉄製観音扉が備え付けられている我が土蔵は、仕掛けだけはそれっぽい。
 子どものころは、何が潜んでいるのかわからない土蔵は「ナマハゲ」のような恐怖の対象だった。
 親もそういう子どもの弱みがわかっていて、「いうことをきかん子は……」といっては伝家の宝刀をちらつかせた。
 理不尽にも、何回か土蔵に放り込まれた。その恐怖体験はずいぶん長く記憶にとどまっていた。
 後年、我が子に同じようなことをしたときは、今度はずいぶん長いこと自責の念にとらわれた。
 親になってわかった子どもの気持ち……。そういう、大人に「気づき」をあたえてくれるのが、『大人問題』である。
 子どもは大人をよく観察している。「子どもだまし」はすぐに見破るのである。
 大人の世界では、「これまでの約束とは異なる新しい判断」というものがあるらしい。いくらでもウソをついてもいい「新しい言い訳」らしい。
 我が総理が編み出した新しいフレーズである。
 「アベノミクス」の失敗を正直に「アベのミス」といえばいいのに、そういう大人の世界を子どもはちゃんと見ていると思うんだがね。(°_°)
(photo:北欧の澄んだ空が懐かしい。フィンランド。2012年)