高倉健をめぐること
10年ほど前、日本語を教えはじめたころの外国人といえば中国人がほとんどだった。授業のなかでときどき映画の話題になると、不思議に思うことがひとつあった。
彼らの好きな日本映画のなかに必ず、『君よ憤怒の河を渉れ』(1976年)が出てくるのである。
えっ? という軽いおどろきのあとにつづけて彼らの口から出てくるのは、高倉健と中野良子のなまえだった。
文革後はじめて上映された外国映画が『君よ憤怒の河を渉れ』だが、それだけでその後もずっと息長く支持されてきた理由にはなりえない。
作品にはやはり、中国人に受けるエッセンスが満載されていたと考えられるし、そのなかでもとくに主演の高倉健は強い印象をあたえたのであろう。
高倉健ねぇ、へぇ〜……と思い、どうして彼が老若男女を問わず中国人にうけるのか、はじめのころはよくわからなかった。
とかく中国人は反日感情に支配されていて、フィルターを通してしか日本を見ていない、というイメージが少なからず日本人のなかにあると思う。
しかし、中国人はものの本質をみる能力に長けている。おそらく、演技する高倉健のなかに、彼の本質が見えたのではないだろうか。日本人ということはどうでもよく……。
というと多少おおげさかもしれないが、当たらずとも遠からずではないかと思う。
僕は、高倉健が任侠アウトローでヒーローになっていたころは、クリント・イーストウッドやジュリアーノ・ジェンマが演じるマカロニウエスタンのアウトローに夢中になっていた。
西部劇の舞台となる埃っぽくて乾いた土地が、ストーリーのねちっこさを緩衝していたような気がして、心地よくカタルシスにひたることができたのだろう。
だから、高倉健という俳優の存在感の重さを知ったのは『幸せの黄色いハンカチ』(1977年)だった。
その以降、巡り会った作品を重ねるたびに、高倉健という金字塔が確立され、唯一無二となっていったのは順当なところである。
後年『単騎、千里を走る。』(2006年)では、中国人のなかに入り演技したが、そこには何の違和感もなく高倉健が存在していた。
なるほど、そういうことか……と思った。残念である。合掌。
(photo:恵比寿ガーデンプレイスにて)