「でくの舞」の僥倖

 今から350年ほど前、白山麓の若者たちが上方に出向いた。そのときに、当時流行していた人形浄瑠璃に興味を持ち、彼の地で習いおぼえた。
 若者たちは、故郷「東二口」にこの人形浄瑠璃を持ち帰り上演した。農閑期、酒と博打に明け暮れていた村人たちはたちまち夢中になり、以来貴重な娯楽として伝承されてきたのである。
 現在浄瑠璃といえば、後世の「文楽」が有名だが、その当時は浄瑠璃太夫岡本文弥」が人気を博しており、彼らが夢中になったのはこの「文弥」のほうであった。
 「文弥節」といわれるこの人形浄瑠璃は、現在国内でも、東二口をふくめて4箇所しか残っておらず、国指定重要無形民俗文化財に指定されている。
 東二口では「でくの舞」とも呼ばれており、最盛期に40演目以上演じられていたといわれているが、今では6演目程度に減少してしまった。集団移住や、戦後の過疎化にともない集落の人口が激減し、演じ手がいなくなったせいである。
 毎年2月に4日間「文弥まつり」と称する定期公演が、地元東二口で開催される。僕は先日17日、最終回の出し物『酒呑童子』を観に行った。
 東二口の集落は現在16戸。かつて近辺の山登りのときに通ったこともあるが、山の斜面にへばりついているような集落であり、冬場になるとやはり雪の量が平野部とまるでちがう。
 上演会場の東二口歴史民俗資料館は、交通の便でいえばけっしてよくはない。しかしその日は、100名くらいの観客で満員だった。
 伝統芸能や古典芸能に親しんでいない現代人は、古風な浄瑠璃に合わせて舞う人形(でく)がかなでる物語の世界になかなか入り込めない。
 しかしそれもしばらくのことであり、やがてそのリズムが体に心地よく感じ、いつのまにか舞台に夢中になっていくのである。
 それは我々のなかに受け継がれている、日本人としてのDNAのなせるわざかもしれない。あるいはまた、さすがに350年もの長きにわたって磨かれてきた普遍的な技術なのか。
 これほど魅力的な「でくの舞」ではあるが、過疎化が進んだ集落では維持できず、今では東二口出身者で組織する「保存会」(12名)が中心となって守っている。
 しかし当然ながら、人形遣いの人員は不足しており、先人から伝わった芸を残していくのは厳しい状況でもある。
 日本全国で財政が逼迫し、文化的なことやものを切り捨てる動きが急である。
 ムダなハコモノはしかたがないが、文化は人間そのものであり、歴史の証明である。それを捨て去ることは、自己否定するに等しい。
 この唯一無二の「でくの舞」をなくしてはならないナ、と思った。(^^ゞ
(photo:『酒呑童子』のでく)