ある選挙の風景

 我が町は今、市議会議員選挙まっさい中である。選挙カーがひっきりなしにやってくる。風に乗って、遠くから拡声器の声もよくきこえる。
 今日は、「でくの舞」について書こうと思ったけれど、その前にこの選挙について書かねばなるまい。
 さて、今回は定数21名のところ27名が立候補した。前回は28定数で、無投票だった。したがって今回は、定数削減で6名が落っこちることになる。
 定数削減の是非はともかく、選挙が行われるということはとてもいい。また、議員報酬が値上げされたせいなのかわからないが、新人6名が立候補して混戦もようである。
 しかし、この議員報酬値上げについては、地元有権者の評判はすこぶる悪い。他自治体からもバカにされている。僕も住民として、県内の友人の議員から嘲笑された。くやしい。
 報酬アップ以前に、ムダな支出を見直すべきである。たとえば、虚礼廃止だけでも効果はあるだろう。
 選挙についていえば、選挙カーを繰り出しての顔見せ興業的な名前の連呼や、がんばります的なあいさつは不要である。だいたい、選挙カーに候補者本人が乗っていない場合もある。
 お約束の、運動員の白い手袋やおそろいのジャンパーもこっけいだが、なんといっても本人の名前入りタスキがカッコイイ。いや、なんといっていいか……。
 あれをしないと議員になれないのかと思うと、(可笑しいのをこらえて)ちょっと気の毒になるが、有権者にペコペコする姿は、そもそも「議員(候補)」としておかしな光景である。よほど野心があって出馬したのか、と思われてもしかたがない。
 印刷物も配られるが、具体的な政策を述べている候補者は少ない。載っているのは、口当たりのいいキャッチばかりである。活力、やさしさ、ふれあい、安心、希望……。
 つまり、具体性は必要ないのである。いつまでたっても「ムラ選挙」だからだろう。せまい地域での利益誘導や、せまいグループ間での綱引き世界。
 そのような旧態依然としたムラ選挙も、有権者がもとめているかぎりはなくならない。有権者が変わらなければ、やはり変わらない。
 北欧のどこかの国だったと思うが、このレベルの議員はボランティアでやっているところがある。いっそそうすればずいぶんすっきりすると思うがーー。( -_-)
(photo:今回はパスです)