「自分」問題

 「自分」ということばは大辞林では、「反射代名詞。おのれ」または「一人称の人代名詞。われ。わたくし」と記されている。
 一人称で使ってもいいことばで、新明解国語辞典でも「代名詞。話し手自身を指す言葉」とある。ただしカッコ書きで、「旧軍隊で多く用いられた」とある。
 「自分は〜」は、よくスポーツ選手から聞かされる一人称である。もちろん男が使う。
 ぼくには「自分は〜」を使う世界の経験がなく、したがって非日常的な一人称なので、どうにも違和感を感じてしまう。
 それは、これまで戦争映画や戦争を題材にしたものを見聞きしたことによる、イメージの刷り込みかもしれない。しかもまちがいなく、ゾクッとするような暗くてマイナスなイメージがよみがえる。
 日本では、スポーツの世界は上下関係が厳格なようである。もちろん、すべてのスポーツがそうだ、というつもりはないけれど。
 日本の旧軍隊はとうの昔になくなったが、その精神がスポーツの世界に残っているような気がする。そう考えると、「自分は〜」もうなづける。
 軍隊というのは暴力装置だから、組織内部でも暴力を否定することはありえない。それは、旧日本軍の行状からみても明らかだ。
 英語では、「自分」は「myself」「yourself」などとなり、一人称にはなりえない。だから「自分」は、おのれ自身を指す内向きのことばとして機能するが、外に向かっての一人称としては、ぼくはおかしいと思っている。
 力士の世界では「自分は〜」が一般的かどうかは知らないが、日馬富士の会見を見ても暴力を否定していないから、上下関係がやかまし角界では氷山の一角ではないだろうか。
 じつは、日本の会社も軍隊である。その証拠に「過労死」が象徴的だ。
 自分は戦争反対であります! なんて、会社ではいえない。自分は自分である。そういう思想が浸透すれば、もう少し成熟した日本になりそうだがね。
 ま、自分はそう思うよ。(^_^)