猫と暮らす(1)

 まずはどうしても、猫の話しから始めたい。
 世の中に「ペット霊園」というものがある。かねがねぼくは、こういうところはどういう人たちが利用するのだろうかと、不思議に思っていた。
 もちろん、ペットを葬送する施設だということはわかる。しかし、ペットのために何とおおげさなことかとも思ってきた。ぼくの小さいころは、川に流したり土に埋めたり、というような弔い方法だった。
 ペット霊園の隆成は、核家族化が進むなかで、ペットがかけがえのない「家族」の一員となってきたことも要因のひとつだろう。
 我が家にはここ何十年猫や犬はいなかったので、そういう施設とは無縁だったし、関心もなかった。
 しかし、去年(2016年)のぼくの誕生日以来、自分がこれまで知らなかった世界を垣間見ることになったのである。
 ことの発端は我が娘だったーー。
 2016年6月、梅雨入り間近のぼくの誕生日の夕方、隣県に住む娘夫婦が瀕死の子猫を持ち込んできた。なんでも、通りがかった道路にヨタヨタと現れて、危ないので見るにみかねて抱き上げたそうである。
 子猫はやせ細り元気がなく、目もふさがっているようだった。そのまままた戻せなくて、近くの動物病院へ持ち込んだが、自分のアパートに引き取ることもできないので、悩んだあげく実家に運び込んだのである。
 ぼくと連れ合いは、予告もなく久しぶりにやってきた娘とその “お土産” に困り果てた。子猫は段ボール箱のなかでほとんど動かず、息をしているのかさえ定かではなかった。
 すぐさま元居たところに返してくるように、とノドまで出かかったが、自分が非情な男と思われたくないというプライドと親バカ心、そこにつけ込んだような娘たちの哀願に、引き受けるといわざるをえなかった。
 しかしぼくは翌日から、某企業の外国人技能実習生の日本語指導に一ヶ月フルタイムで通うため、実際の負担は連れ合いにかかることになる。あとで聞けば連れ合いも、返してこい! とノドまで出かかったそうである。
 「お父さん、猫好きやろ?」とのたまい、とんだ誕生日プレゼントを置いて娘夫婦は帰って行った。(__;)