転機、あるいは転身

 10月に入って、まだ一度も記事を書いていなかった。というか、身辺がバタバタになっていてそれどころじゃなかった、といえそうだ。
 ーー仕事をはじめたのだ。いや、今まで仕事をしていなかったわけではないのだが、自営の仕事が親のスネのように細くなってきたからである。
 そんなわけで、日本語学校の非常勤講師として雇われの身となった。そして、奇しくも同時期に、とある企業の実習生の日本語指導にもかかわることになった。
 いきなりのダブルワークである。
 のんべんだらりと、小遣いかせぎにもならない “親のスネ仕事” から一転、ほころびの目立つ我が身体にムチ打ちながら、とりあえずは新しい環境の初動期を乗り切った。
 仕事自体にストレスはない。しかし、賃金を得ている以上当然ながらプロとしての力量が問われるので、そのあたりに多少のプレッシャーはある。
 まあ、それも好ましいストレスである。また、一介の契約労働者なので、雇用主や同僚との若干の人間関係ストレスも存在する。
 最近はあまりにもストレスのない生活を送っていたので、内なる声がこの弛緩した身体と空っぽ頭に危険信号を発したのだろう。
 というか、じつはそんなキザな御託など述べる前に、このままでは米びつが空になって路頭に迷ってしまうのである。マジで貧困老人だ。
 ケツに火がついてきたということだが、じつのところこの貧相で筋肉の落ちたケツに火がついても、出せる馬力はタカが知れている。
 相手をする学生、実習生とも男ばかりである。余計な気をつかわなくてもいいが、彩りに欠けるのはちとさみしい。
 これまでは比較的恵まれてきた、その反動かもしれない。人生うまくできている。
 とはいえ、手抜きするわけではない。もちろんだ。(^_^;
(photo:美しいというより毒毒しいか…大日ヶ岳にて)