同窓会の問題

 同窓会の案内状がよく届くようになった。同世代は還暦を迎え、とりあえず定年退職する年齢になったからだろう。
 自分が歩んできた学校へのイメージというのは、小学校から中学校、高校、大学と、当然ながらそれぞれちがうものだと思う。人間形成途上の年代では、そのときどきの環境によって大きく印象が左右される。
 未熟な時期の我が身を振り返ってみても、冷や汗が出たり、できれば消去ボタンを押してしまいたい思い出はたくさんある。
 しかし同窓会の良さのひとつは、利害関係がなく同級生とつながっていた時代が、利害関係に満ちた社会を生きてきた現在の自分の、ある種癒しの場所になるからだろう。
 もちろんかつての同級生への様々な興味や、同窓会を利用して何かを企てようと野心を燃やしている者もいるだろう。
 ときには、遙か昔に置き去りにした「純粋」という感情の代わりに身に付いた「あつかましさ」を武器に、密かに恋心をいだいていた彼女(彼)に近づこうという不純な者もいるかもしれない。
 そのように考えると、同窓会というのは単なるノスタルジーではなく、じつに生々しい人間の欲望が交錯する “出会い系” なのだろう。
 しかしそれは「男目線」なのかもしれない。女は同窓会というものを、またちがった目で見ているにちがいない。ーーそれはそれでいいのである。
 舞い込んでくるようになった同窓会の案内状に、ぼくはいささかためらいながらも、すべて欠席にマルをして返信した。
 かつて親しかった者に会ってみたい気持ちや、同時代を生きてきた者たちに興味がないわけではない。でもまあはっきりいって、めんどうくさいのである。今はまだね。
 そして、こんな同窓会の案内状も届いた。ーーある年に集ったPTA役員のソレである。
 15〜16年前、子どもの中学校のPTA役員を消極的ながら引き受けた。1年かぎりだ。我が子のためを思い淡々と仕事をこなした。とくべつ楽しいわけでもなかったが、他の役員にも不満はなかった。
 もちろん欠席にしたーー。いろいろな同窓会があるものだ。(^_^;)
(photo:高岡市金屋町にて。2015.9)