オジサンとオバサンの境界

 ボランティアとして日本語をおしえている僕の講師仲間やスタッフには女性が多い。
 その内訳としては、時間に余裕のある主婦や退職後の人たちだが、おおざっぱにいえば「オバサン」たちである。
 ホスピタリティ精神がかなり重要な素養となるこの仕事は、どちらかといえば女性に向いているかもしれないが、仕事にエネルギーを吸い取られる日本の男たちにとって、遠い世界かもしれない。
 そういう背景も考慮しつつ、男仲間といえば、ところによって事情はちがうかもしれないが、だいたい少数である。万年野党のようなものだ。
 そしてその少数派の男たちは、日常的に圧倒的多数派のオバサンたちとミーティングしたり世間話をしたりするわけである。
 そういうオバサンたちと長年付き合っていると、オジサンとオバサンの生態の差異に気づくのである。まあ、「深い川」ですかねぇ。
 たとえば、日本語学習者に対しては、女性はコミュニケーションを第一に考えるが、男は理解度を重要視する「傾向」がある。
 スタッフ同士が旅行の話しをすれば、男は交通手段や旅行の目的に興味を持ち、女は仲間との行動やその旅行の楽しみ方を重要視する「傾向」がある。
 もちろん、ステレオタイプにとらえたりはしないので、あくまでそういう「傾向」にあるのではないか、という個人的な印象ではあるが……。
 それから、これはけっこう核心的な相違かもしれないが、オバサン(というか女性全般)はささいなことでも他人を褒めたりするが、男はそういうことはしない「傾向」にある。
 男同士の世界では、どこか相手はライバルであり比較対象になってしまう「傾向」にある。だからかんたんに相手を持ち上げたりはしない。
 「お〜、今日のおまえのそのシャツ素敵じゃないか」「かわいい孫やねぇ〜、おじいちゃんにそっくりじゃないか」「髪もフサフサ、いつまでも若くてうらやましいよ」
 ……などとは、ふつういわない。気持ちが悪い。
 でも、オバサンが多数のサークルに身を置いていると、どうもオジサンはオバサン化してくるようである。一時話題になった環境ホルモンを思い出してしまう。
 世の中を元気にする、というか実際元気なのはオバサンたちである。
 日本の浮沈をにぎるキーワードは「オバサン」、といってしまえばいささかおおげさかもしれないが、オジサンがオバサン化するのも悪くないと思うのだが……。(^_^;
(photo:ムラサキカタバミ。庭にて)