世界のトレンドと我が国

 ジェットコースターのような日々もようやく終わった。三半規管が機能不全となり、ふらふらになって地上に降り立ったような感覚である。
 ふと気がつけば、なにやらこの国も、ブラックホールに向かうジェットコースターに乗ったような気配であるーー。
 人類の歴史を俯瞰すれば、それは争いの歴史だった、といえるかもしれないが、争いの合間々々には平和な時代もあった。
 日本の歴史をながめてみても、平安時代室町時代、江戸時代にはずいぶん長い間平和な世の中がつづいたのである。
 ところがその平和な時代はいつか終わりを告げ、争いの時代に入り、そしてまた新たな秩序が生まれてきた。
 どうして、一旦手にした平和を人々は手放すのか。人類の進化や成長のプロセスなのだろうか。あるいは、そもそも人間とは平和に飽きてしまう生き物なのか。
 太平洋戦争・日中戦争の敗戦から70年である。
 我が国は、手に入れた平和と世界からの信頼を、食べ終わって不要となったスナック菓子の袋のように、かんたんに捨ててしまおうとしている。
 どうもそういう流れなのかもしれない。昔とちがって今は、世界の流れを無視して一国だけで独自の歴史を刻むことはできない。
 社会主義国家の失敗から、資本主義を採用する自由主義国家が唯一の価値のように世界をリードしてきたが、ここへきてそれも怪しくなってきているのである。
 現に総本山であるアメリカ自身が、正体不明のトリックスターを大統領候補に押し上げ、もしかして一丁上がりになるかも知れない、という悪い冗談のような「アメリカンドリーム」を実現させるかもしれないのだ。
 我が国に関しては今さらいうまでもない。先の参議院選の結果が、自由主義世界のトレンドに符合しているのである。
 独裁者が台頭してきている。中国、ロシア、北朝鮮、トルコ、ハンガリー、フィリピン…。
 戦争の時代は願い下げだが、それでも僕たちは戦争を選ぶのだろうか。(-.-#)
(photo:池ノ平湿原。6月初旬の状態)