ムズとゾワと異文化交流

 「国際交流、ということばは好きじゃない」といったのは、日本語講師仲間のNさんである。
 ーーなるほど、はっきりいうなぁ……と僕は思った。
 たしかに「国際交流」ということばを聞くと、背中のあたりがムズっとする。いわんや、自分がうっかり口にしようものなら、ゾワっとする。
 ムズというのは、古いキャンプ場の夜のトイレで蜘蛛に出くわしたような場合。
 ゾワっていうのは、古いキャンプ場の夜のトイレで用を足しているときにふと目の前の壁を見ると、大きなスズメ蛾が張り付いていた、というような場合。
 いや、余計わからなくなったかもしれませんね。
 「国際交流」自体は誰もが肯定的なイメージを持つことばだが、「国際交流」に実際従事すればするほどこのことばが浮いてくるのである。
 それはなぜかというと、このことばには「官製」イメージが付着していて、日常感や生活感が脱臭されているからだと思う。
 たとえば、外国人に日本語をおしえるほとんどの日本人は、ことさら国際交流を意識しているわけではない。
 しかし、その「おしえる」という行為にもまた、ムズっとするのである。
 それで、ムズっとしないためには、「おしえる/おそわる」という師弟関係じゃなくて、「交流」が重要なキーポイントとなるのである。
 そう、それが国際交流でしょ? ということになるのだが、じつはそれは国際交流というよりも、個人レベルの「異文化交流」なのである。
 異文化交流ーー。ちょっと堅いことばだが、国際交流よりしっくりくることばだ。
 考えてみれば、他人はすべて「異文化」である。なにも「国際交流」などという「国境」を引かなくてもいいのかもしれない。(^_^;
(photo:富山市にて)