黄昏の歌声

 休日の夕方、家で本を読んでいると外で大きな声がした。それはどうやら歌声のようだった。
 夜遅くときどき、近くを通っていく酔っぱらいのような男の歌声を聞かされることはあるが、まだ明るいうちからの歌声はまれである。
 よくよく耳を澄ますと、その歌声はどうも日本語ではなく中国語のようだった。
 すぐ近所のアパートには中国人の技能実習生が住んでいる。アパートの前にけっこうな台数の自転車が並んでいるので、男ばかり7〜8人は生活しているようだ。
 その日はどこからかやってきた中国人女子も加わって、パーティのようなものを催しているようだった。彼らはたいてい、ドアや窓を開けっ放しにして騒ぐのである。
 話し声のあいだに歌声は繰り返され、しかも同じ歌だったので、聞いているこちらは主旋律を覚えてしまった。単純なメロディなので耳についたのだ。
 彼らのところへ行って投げ銭して拍手でもしてやろうかと思うほど、歌声の主は上手ではなかったが、異国にいて同国人同士が集まって多少ハメを外す姿は理解できる。
 しかしたとえば、日本人が中国(あるいは外国)で彼らと同じようなことができるだろうか。
 高度成長時代の、怖いもの知らずの田舎根性丸出しのころの日本人だったらできたかもしれない。しかし、国際感覚が多少なりとも身に付いた、今の日本人はできないだろう。
 あるいはそういう視点ではなく、もっと根源的な、国民性とか民族性を持ち出すとまた違った見方ができる。
 荒っぽくいえば、日本人と中国人のものの考え方やメンタリティには、かなり隔たりがあるようだ。
 世界中に華僑として出て行った中国人は、根付いた土地土地に自分たちだけのコミュニティをつくった。「中華街」や「チャイナタウン」といったアレである。
 異国にありながら自分たちの文化をしっかり守る、べつのいい方をすれば、マイペースを崩さない彼らのやり方はちょっとマネができない。
 今度は対抗して日本語の歌を外に向かって歌ってみようかーー。
 そんなことをすれば、次の日から近所の人は僕をさけて通るだろう。(-。-;)
(photo:シャクナゲ富山県袴腰山にて)