想像を超えるときに

 地震雷火事親父ーー。
 怖いもののトップは、昔から地震である。なにしろ「土台」が揺らぐんだから、こんな怖いことはない。今まで信じていたものが崩壊してはたまらない。
 人の思考は、これまで経験してきたことを基本として成り立っている。とくに身体性については、じつにはっきりと身体がおぼえている。
 9年前の能登沖地震のとき、僕は家族と飛騨地方の温泉旅館にいた。
 朝食のあと部屋にもどると、木造家屋の2階の客室がガタガタ揺れ出した。
 揺れはじめたときは「なんだか地震みたいだね」といい合う余裕があったが、すぐに大きく揺さぶられるようになって身の危険を感じた。
 これは外に出なきゃ危ないなと思ったときに、揺れはおさまった。
 この程度の経験からいえば、これ以上の地震は想像を絶するのである。いや、想像はできるが身体性がともなわないからあまり意味がない。
 「3.11」からわずか5年である。地球の長い歴史から考えれば、「3.11」の翌日に起こったようなものかもしれない。
 近年の火山活動の活発化をも考えれば、我が地球は明らかに活動期に入ってきている。
 気候変動もCO2などのせいではなく、地球というシステムが次の過程に移行するための生理現象なのではないかと思う。
 そういう地球の歴史的な時期を我々は同時に生きている、ということになるわけだが、ダイナミックな地球の営みにさらされる人間と文明はいかにも無力である。
 怖いものの4番目の「親父」なら対処も可能だが、「母なる地球」には為す術もない。「母」は偉大だが、しかしけっして悪者ではない。
 ーー今回の、熊本の地震被災者にはお見舞い申し上げます。
 日本に安全な場所などはない、ということをあらためて知った。同時に、安全な原発もない、ということも再認識したのである。( -_-)
(photo:福井、三国にて)