戦略大作戦

 政権与党のある政治家が、選挙公約は意味がない、といった主旨の発言をしたことがある。
 裏を返せば、あんなもの守る必要がない、ということだが、まあ理屈はこうである。
 「公約」というのは、その時点でのある問題に対する対策や解決策を政権を取ったら提示しましょう、という約束である。
 しかし、時は刻々と変化していくものだから、問題そのものの状況が変わってしまう。したがって、その状況に合った新たな対策や解決策が必要となるため、選挙時点での約束は無効である、という論理である。
 う〜ん、なるほど……いや、納得してはいけない。それは詭弁である。詭弁を弄して数々の悪法を通し蛮行を重ねてきたのが、今のアベシンゾーたちである。
 昨今、「約束」ということばがあらゆる辞書のなかで泣いている。
 彼らが嘘を糊塗し、国民の目をそらせる戦略はじつに巧妙である。
 昨年末は、外交日程を理由に臨時国会を一方的にスルーし、安保法制熱から世間を一服させることに成功した。
 そして滑り込むように出てきた、韓国との慰安婦問題の決着である。内容は、韓国側から一定の評価を得たけれど、少なくとも当の慰安婦にされた人たちは納得していない。
 いくら政治決着でこの問題を終結しようとしても、国民感情に怒りがくすぶりつづける以上、いずれまた再燃してくるだろう。
 こういうのは被害者側が、もうこれで謝罪はいいよ、といわないかぎり決着したことにならない。
 アベシンゾーは、国民にとっていやな問題から目をそらさせるときに、よく外交を利用する。
 海外で外国の要人と笑顔で会っている姿を報道で見せられると、国民は彼の訪問目的や成果をチェックもせず、その姿だけを見て何となく仕事をしていると感じ、「いいね」ボタンを押してしまう傾向にある。
 我々が納めた血税をばらまき、原発を売り込み、武器商人の先兵となっていたとしても、そんな中身に関係なく高評価をしてしまうのである。
 すでに夏の参議院選に向けて、政権与党は着々と事を進めている。
 最近株価が続落傾向にあるが、選挙が近づけば必ず官製操作がおこなわれる。経済重視の国民感情は、そのとき一気に政権支持を表明するだろう。
 ひるがえって野党を見れば、情けないほどの体たらくである。政策共闘は実現せず、このままではアベシンゾーたちのサンドバッグである。
 あの人が来るんだったら私は行かない、というようなインフォーマルで狭量な世界で子どもじみたことをいっているのが、民主党と維新である。
 このままでは両党ともミニ政党になってしまうぜ。現時点では、まったくアホの集団というほか、適当なことばがみつからない。(-.-#)