ルーティンの日々

 朝起きてトイレに行って、顔を洗って台所に行きお茶を飲む。おもむろに新聞を手に取り、裏面から目を通す(これは癖だが…)。
 そんな一連の、身に付いた流れに沿って物事をこなしていくと、ストレスがなく精神的には楽である。で、気がつくと夕方になっていた、ということが多々ある。
 しかし、毎日決まったルーティンをやっていると、思考が固まって新しい発想が生まれなくなってしまうような気がする。
 先月は毎日通勤したので、毎朝同じ電車に乗り仕事場に行き、同じ時間に終わり、同じ電車で帰って来た。
 最初のころは新鮮で刺激的だったが、慣れてくるとしだいに同じ車両の同じような席に座ってしまうのである。観察すると、周りの乗客もだいたい同じ顔ぶれである。
 人間の保守的な本能なのだろうか、あるいは帰巣行為なのだろうか、毎日毎日次々と変わったことはできない。
 しかし、日本語をおしえるという仕事はルーティンではできないらしく、そこのところは攪乱的な刺激を与えてくれた。
 したがって、朝晩のルーティンはちょうど休憩になって、バランスがとれていたのかもしれない。
 さて、日々ルーティンだけのサイクルで過ごすとどうなるのだろうか。
 脳みそが、海底に溜まったヘドロのようになって腐ってしまうのか。あるいは、感度が鈍った無線機のように何の反応も示さなくなるのか。
 確立したルーティンから抜け出すのはけっこうエネルギーがいる。そういうエネルギーを捻出する努力さえしなくなることが、じつは怖い。
 ルーティンにおち入らないように意識はしている。たとえば、パンツを穿くときはいつもとちがう足から通すとか、新聞をいつもとはちがう面から読むとか…。
 資源ゴミの日がつらいのは、いつもより早く起きなければいけないからだろう。月2回ではルーティンにならない。
 どうも僕はルーティンにおちいりやすい性格らしい。あるいは、創造的思考が希薄な性格なのかもしれない。
(photo:最近猫を見ていない)