異文化を知る、ということ

 うちの近所のアパートに、たくさんの中国人企業実習生が住んでいる。せまい部屋で共同生活をしているようである。
 ときどき大きな声が聞こえるし、歌を歌いながら自転車で走り去る姿も見かける。窓を開ける夏などは、とくによく聞こえる。
 異国に来てなおかつ自分たちのペースを崩さない、厚顔というか彼らのそういうメンタリティには、あきれを通り越して畏敬の念さえ感じてしまう。ほんと、マジで。
 我々日本人は、そういう厚かましさが足りないような気がする。それを、国民性のちがい、といい切ってしまうにはやや躊躇をおぼえる。
 僕はたくさんの中国人と接してきたから、彼らのふるまいに対してはあいかわらずやなぁ、と思うだけだが、たとえば町内の人々はそうではなく、怖いと感じている人も少なくないようだ。
 しかし、彼らにとってここは異国であるうえに圧倒的マイノリティだから、怖いと感じるのはむしろ彼らのほうではないか、と思う。
 地域住民は、どうして彼らを怖いと思ってしまうのだろうか。彼らや彼らの文化を知らないからである。しかし残念なことに、あまり知ろうともしない。
 保守的な土壌、という土地柄もあるかもしれないが、日本人という単一性は、異文化に対して少し臆病なのだろう。
 無知が警戒心を引き起こし、怖さにつながっていくーー。それは、イスラムに対してもいえるのではないだろうか。
 おそらくマスコミのせいだが、イスラム世界の報道は極端に少ない。しかも、流されるのはネガティブなニュースばかりである。
 知らず知らずのうちに、僕たちは情報操作されて一定の方向に運ばれてしまう危険性がある。
 気がつけばフランスのように、非常事態宣言が発令されるような国……になってほしくはない。(-.-#)
(photo:根津神社にて。どこか大陸の匂いがする神の意匠)