隣近所の縁

 紙の新聞を読む人がどんどん減っているらしい。とくに若い人にとっては必要ない媒体のようである。
 インターネットからかんたんに情報がとれるし、新聞社だってホームページで記事を載せているから、紙媒体の新聞を買う必要がない。
 しかし、自ら求めて情報をとる場合は、自分の意思に沿わない情報はとらなくなる傾向におちいりがちだ。
 そういうことを繰り返しているうちに、ひとつの偏った世界に拘泥し、自分とちがう意見に耳を貸さなくなってしまう。
 たまたま目にした(耳にした)「脇の情報」が、とても有用な場合がある。「脇の情報」によって視野が広がったり、意に沿わない情報にも、ときには感心して興味を持ったりするものである。
 アマゾンで本を買う場合は、ピンポイントで自分の欲しい本がかんたんに手に入るが、通販で本を買う行為というのはじつにつまらない。
 しかし本好きの人間を好意的に解釈すれば、アマゾンで本を買うということは、それは “ときどき” の行為であって、近くに本屋がないという地理的条件を背負っているか、あるいは本屋へ行く時間がない、というような事情があると思われる。
 リアル書店に行く、という行為はたんなるショッピングではなく、「脇の情報」を得る重要な場でもある。
 もちろん本を買う場合に限らず、アナログの世界では境界というものがなく、隣近所が見わたせる。
 近隣に無関心でいることも可能だが、せっかくの「縁」を有効活用しないというのももったいないことだし、自分にとって不利益になる場合もある。
 たとえば、国会の外で行われていることに無関心をよそおい、無視をきめこんだアベという人とその一派は、結果的に不利益をこうむることになると思うが、いかがだろうか。( -_-)
(photo:高岡市金屋町にて)