個人的な体験(4)

 2013年11月、沖縄にてーー。
 ずっと北のほうを向いていた。
 いや、あの狂った世襲首領様の国のほうではない。暑いところより冷涼なところ、という意味である。
 日本でいえば、北海道とか東北とか……。世界でいえば、スイスとか北欧とかカナダとか……。しかし、広大なシベリアはあまり考えなかった。共産圏だったからだろう。
 それはどうでもいいが、北の自然にあこがれていたのは確かである。
 ところがトシとともに寒さが身にしみるようになってきたせいなのか、興味が少しづつ南に向くようになった。
 もちろん沖縄で起こっていることは知っていたし、関心もなかったわけではないが、行く機会をなかなか作れなかった。
 そうこうしているうちにLCCがどんどん就航し、那覇にも乗り入れを始めたのである。
 俄然沖縄が身近になった。結局は交通費の問題か? などと問われると身も蓋もないが、ようやくタイミングが巡ってきた、ということだろう。
 沖縄に対しては「本土」の人間としてやはり、痰がつまったような、何かいい知れないひっかかりを感じていた。
 それはべつに格好つけているわけではなく、沖縄の歴史を知ればそう感じてしまうのである。
 もともと僕は、海より山、の人間なので、沖縄の海で遊ぶことより文化や風土に関心があった。だから沖縄との初対面は、「沖縄戦」「基地」「城(グスク)」を行動基準とした。
 まあ、一介のくたびれたオッサンの、物見遊山の域を出ないことは承知しているが、現場を自分の目で見ることは大事であろう。
 事実、普天間基地ではオスプレイの奇怪な姿を垣間見、嘉手納基地ではひっきりなしに離発着する米軍の航空機を観察した。
 非日常的な旅行でここへ来ている自分が、ここに住む人たちの日常に思いをはせることはなかなかできなかった。
 それは、平和祈念公園の「平和の礎」を目の当たりにしてもまた、同じようににわかには想像できなかった。
 おびただしい数の刻銘碑には、徹底的に調べあげた沖縄戦での犠牲者の名前が、敵味方問わず延々と連なっていた。この調査作業だけでも想像を超えている。
 思わず天を仰ぎ、そしてしばらく呆然としたーー。
 沖縄の文化にはより大陸的なものを感じさせる。城(グスク)は中国の城壁、カンボジアの寺院遺跡、ブータンのゾン(後年訪問)などに通じるものがある。
 人が途絶えた夕暮れのグスクに佇んでいると、ここが日本だということを一瞬忘れてしまいそうになる。
 グスク、基地、戦争の傷跡……どれもこれも生身のオキナワだった。<(_ _)>