個人的な体験(2)

 2011年10月、江蘇省南京市にてーー。
 ルポ・ノンフィクション・評論のおもしろさを知ったのは、20代に入ってからだった。朝日新聞の記者、本多勝一の本がおしえてくれた。
 彼が調査して報告をまとめた、『中国の旅』という本があった。
 むろん旅のガイドブックではない。日本(軍)が中国大陸で行った、数々の蛮行を明らかにしたものである。
 とりわけ、日本軍の南京入城が衝撃的だった。信じられなかった。
 そのとき初めて気がついた。戦争で犠牲になるのは民間人だ、ということを。
 もちろん歴史で、あの戦争のことは学んだ。しかし恥ずかしいことに、よく理解していなかったのだ。というか、被害者の視点でしかとらえていなかった、といったほうが正確だろう。
 日本が中国でしたことの数々は、まぎれもなく「侵略」行為だったことを、『中国の旅』ははっきりおしえてくれた。
 もっといえば、中国やアジアを「大東亜共栄圏」とするような、勝手な論理を振りかざして侵略行為を正当化し、邪魔立てする米英に戦争を挑んだオロカさをはっきり理解した瞬間だった。
 南京は日本人にとって、いわくつきの町である。訪れるまでは、日本人だということが発覚すると袋だたきにされるのではないか、という気さえしていた。
 いや、じつは、中国大陸そのものが僕にとって敷居が高くなっていた。しかし、ただの無名の日本人の男がそこまで意識する必要はない、ということもわかっていた。
 これまで、東南アジアの国々へはときどき出かけていたにもかかわらず、中国は遠かった。
 2008年7月、初めて中国へ足を踏み入れた。当時、日本語をおしえていた中国人留学生たちが、ある種僕の偏見ともいうべき「薄皮」を破ってくれたからだ。
 その後、僕は中国と親しくなった。大陸に渡って現地で仕事し、生活した。
 そしてあるとき、南京へ行った。もちろん「大虐殺記念館」へも行った。土曜日だったせいか、大勢の人が訪れていた。
 費用をかけた広大な記念館だった。威容を前に、加害国側の人間として一瞬たじろぎ冷や汗が流れた。
 あの騒々しい中国人(ステレオタイプだが……)でさえ、館内ではヒソヒソと小声だったことも、いつもと様子がちがっていた。
 展示には、さすが日本語の解説も併記されていた。しかし、巡っているうちに気が滅入ってきた。後年靖国神社の展示館へ行ったときも落ち込んだが、それとはまったく別種の気の滅入り方だった。
 南京には一泊した。夕方、南京市中心部を囲む城壁の中華門へ行った。門とはいえ重厚な建物で、内と外が長いトンネル通路で結ばれている。
 かように大きな門ゆえ、城壁もまた高かった。上は散歩やジョギングに最適な石畳コースにも思われ、しかも門の上は広大な広場になっていた。
 南京市内が見渡せた。子ども連れの親子や老人、カップルが思いおもいにくつろいでいた。_(_^_)_