創造の泉源

 長くグラフィック・デザインの仕事を経験してきた身として、今回の五輪エンブレムの件にかんしては複雑な思いである。
 そもそも、デザインに完全なオリジナリティを発揮することは不可能である。もちろん一部の「天才」はべつである。
 発想の根源というのは、自分がこれまで見聞きしてきたものや、傾倒してきたものを自分のなかに蓄積した、いわば「貯蔵庫」がそれにあたると思う。
 創造するというのは、その貯蔵庫からヒントになるものやベースになるものを取り出し加工して、ちがうカタチにすることである。
 人間が生まれてから母語をほぼ完全に習得する時期は、12歳あたりだといわれている。誕生から、母語環境のなかでの長い蓄積があってマスターするのである。蓄積がないフランス語やスワヒリ語を、いきなり喋ったりはしない。
 今回のエンブレムの作者は盗作したわけではないと思う。結果的に、ベルギーでデザインされたマークに似てしまったのだろう。
 不運といえばそうかもしれないが、発想の根本が甘かったといわざるを得ない。
 アルファベットを公用語に使っている国は、世界を見渡すと圧倒的多数である。それだけに、そのシンプルな字形はあらゆるデザインが過去に試みられたハズである。
 だから、似たものが存在して当然だ、と考えるべきだろう。
 マークが日本国内だけで流通するのならさほど問題はないかもしれないが、オリンピックのような世界規模で注目度が高い場合は、もう少し慎重になったほうがいい。
 たとえば、アルファベットをモチーフにしたとしても日本的な要素を付加すれば、少なくとも諸外国のものとの類似性は大幅にさけられる。
 で、今回の「事件」はどうすればいいか。
 個人的には、作り直したほうがいいと思う。盗作ではないといくら強弁しても、ケチがついたマークに値はない。作者も気分悪かろう。(¨;)
(photo:信越本線横川駅にて)