町内会長の報酬

 町内会(自治会)の悩みのひとつに、会長のなり手がいない、ということがある。全国的にみてもおそらく、それが一番の悩みかもしれない。
 どうしてなのか? 理由はいくつかある。
 たとえば、あつかう仕事が多品種少量でありめんどうである。ある種のクレーム窓口である。滅私奉公である。奉仕のわりには報われない役職である。行政の下請け感がある。住民が冷ややかである。なんでオレ(ワタシ)が……というマイナスイメージ。……等々。
 また、それ相応の手当を支給する自治会はまれであり、多くの場合、会長はボランティアに近い。というか、持ち出しになる、というのもマイナスに拍車がかかる。
 では、会長職はボランティアかどうか考えてみる。
 ボランティアの条件は、「社会性」「無償性」「自発性」の3つである。
 まず「社会性」はどうか。自治会という「社会」のために、あるいは、住民の「共益」のためにはたらくのでこれはOKである。
 「無償性」はというと、手当がもらえるとしても、おそらくそれで生活できるものではないと思われ、また、足が出てしまう場合も多いだろうから、これもクリアだ。
 最後の「自発性」だが、これはちょっとビミョ〜かもしれない。
 崇高な利他精神のもと、自ら進んで名乗りをあげる方ももちろんおられるだろうが、野心があって自治会をステップにする連中もいるだろう。
 まあしかし多くの場合、いわば「イヤイヤ」で役職につくと思われる。
 とはいえ会長職は、おおむねボランティアといって差し支えない。
 じゃあ、ボランティアはまったく報われない、あるいは、報われなくてもいいと思っているのだろうか?
 ボランティアは無報酬というが、じつはちゃんと報酬を受け取っているのである。
 たとえば、「ありがとう」というひとこと。それで精神的充足を得るのである。お金じゃなく、モノでもない報酬。とてもぜいたくであり、欲張りである。
 つまりボランティアは、「自発性」があれば多大な報酬が得られる仕事である、お金で買えない。
 とはいえ、やはり「自発性」がひっかかる。ふつうは、ボランティアの本質まで考えたりはしない。
 我が町内会も例外ではない。毎年もめるのである。(-。-;)
(photo:ヘビイチゴの仲間。部子山にて)