去りゆく友の感覚

 訃報がつづき、少しへこむ。
 Yさんは、僕がサラリーマンをしていた印刷会社の先輩だった。同じ職場でしばらくいっしょに仕事をした。
 頭のいい人で仕事の手際もよく、適度にハメを外す術も心得ていた。ぼんやりしていて要領の悪い僕を、よくフォローしてくれた。
 彼は理不尽なことが許せず、歯に衣着せぬところもあったが、けっして嫌みはなかった。しかし、ときにはあちこちで軋轢を生んだ。
 そういう性格ゆえ、いわゆる出世には縁がなかった。というか、そういうものに興味がなかったようである。
 僕が会社を辞めてしばらく後、Yさんも退職したことを知った。理由はわからない。
 数年前、近郊の大型ショッピングセンターでバッタリと彼に会った。持っている電気関係の資格を活かして、このあたりでは有名な電気工事会社で技術職をしている、といっていた。
 前の会社にいたころより、表情が明るいような気がした。
 そのときは、会社を辞めた理由を聞かず、連絡先を交換し合ってわかれたが、それが最後になってしまった。悔やまれる。
 62歳。早すぎる死だった。
 ーーじつは昨日、通夜に参列してきた。
 亡くなったF君は55歳だった。彼も僕がいた会社の同僚で、1年後輩だった。
 あのころは行け行けどんどんの世の中で、職場も毎日がお祭り騒ぎのような状態だった。会社も急成長していて、僕たちのような若者がうじゃうじゃ働いていた。
 F君とも同じ職場でずいぶん長く仕事をした。休日は、彼を含む同世代の会社の連中と、よくつるんで遊び歩いた。
 F君は、末っ子のせいか、人を引き寄せるところがあった。社内の女子(おばさんも含め)によくもてた。人当たりがよくて付き合いのいい性格は、男(おじさんも含む)にも好かれた。
 女子に縁がなく、人付き合いがヘタな僕は、ときどき彼に嫉妬した。
 彼は印刷会社で働きつづけ、結婚し家庭を築き順風満帆に見えたが、2年前急性心不全で倒れた。
 一命を取り止めはしたが、仕事はおろか日常生活さえ困難な身となった。そして、おとといついに逝ってしまった。
 僕がこれまで接してきた身近な人の死というのは、家族であったり親戚であったり、近所の人の死がほとんどだった。
 ところがトシを重ねると、友だちの死に遭遇するようになり、それはこれまで接してきたような死とはずいぶんちがうような感覚である。
 それはどういうことなのか、まだ適切にことばで表現できないが……。
 ーーYさん、F君に合掌。(;_;)
(photo:徳光海岸にて)