ネパールが心配だ

 ネパールへ初めて行ったのは、もう30年以上前のことである。
 日本の地方空港より粗末なカトマンズの国際空港から一歩外に出ると、あっという間に大勢の物乞いに囲まれた。
 衣服と呼べないような汚れた物をまとった彼らの、垢と埃にまみれたたくさんの手に包囲されたときは、危うく叫びそうになった。
 そのときは、どえらいところに来たもんだ、と思った。
 ところが、そんな強烈な初体験からほどなくして、自分が彼の地へ足繁く通うなどとは、そのときは夢にも思わなかった。
 行くたびに風景が脳に定着し、人々の顔のちがいが認識できるようになった。むろん知り合いもできた。
 そうなると、ネパールは旅の通過点ではなく、ある意味自分の帰るべき場所のように思えてくるのだった。
 初めて訪れてから、ネパールはずいぶん発展した。とはいえ、今なお世界最貧国のひとつである。
 あそこは貧しいけれどほんとうの豊かさがある、というようなことをいう人たちが少なからずいる。
 日本人にとって、どこか郷愁をさそうネパールの風景。世界に名だたるヒマラヤ。穏和な顔立ちの人々。ゆっくりとした生活リズム。
 そんなネパールが、僕たちの心をとらえるのである。
 しかし、「ほんとうの豊かさ」などというのは、すでに文明の恩恵を享受した者が懐古する傲慢な郷愁にすぎない。
 貧困のなかにも豊かさがあるのかもしれない。でもそれはもう、日本人が知らない世界である。貧しさは貧しさである。
 そのことが、今回の地震の被害を大きくし、また、救助の困難、難しさの根っこにあるのだろう。
 ーー犠牲になった人々のご冥福を祈りたい。歴史的な文化財の崩壊もとても悲しい。(;_;)
(photo:1981年のカトマンズ、ダルバール広場。この風景はもうない)