頑固な人々

 亡くなった父方の祖母は、ときにはバカがつくほどの正直者で、およそ人を疑うということを知らない人だった。
 4月1日には、遊び心のある娘婿(僕の叔父)から電話がかかってきて、よくだまされていた。
 冗談を冗談として理解できず、かえってこっちがあわてることもしばしばだった。
 ダジャレは説明しないとわかってもらえなかったし、テレビドラマに入りこんで、いつの間にか現実と同化してしまい家族を困らせることもあった。
 今ならかんたんに、振り込め詐欺にやられていただろう。
 エピソードには事欠かないおもしろいキャラだったのだが、そのような性格からなのか、人の話しや助言を取り入れられない「頑固さ」があった。
 ときには手を焼いたこともあったが、いってみれば祖母のそれは「愛すべき頑固さ」というべきものだった。
 エイプリルフールになるといつも、祖母のことをふと思い出しニヤリとしてしまうが、国会中継を聴いているとそんな気持ちも吹き飛んでしまった。
 アベシンゾーたちの「頑固さ」は、その意味をどうやら新たに辞書に一項目付けくわえなければいけないようである。
 厚顔、無恥、傲岸、不遜をミキサーにかけ、差別と偏見をトッピングしたような、世にもおぞましい意味あいとでもいおうか……。
 彼らは、「愛すべき」という形容はどのような角度から見てもなじまない、鉄壁の「食えなささ」である。
 どうも連中は人類でさえないような気がしてきた。そういえば、どこかのアホな議員がUFOについて質問していた。
 やっぱり、そういう得体の知れない人たちだったのである。
 祖母の「頑固さ」は笑ってやりすごすことができたが、国会にふんぞりかえっている狂気の人たちには恐怖をおぼえる。(*_*)
(photo:郡上八幡にて)