自主規制と慢性疾患

 昭和天皇が亡くなったときを思い出す。
 確か年が明けて間もないころだったーー。
 テレビのチャンネルはどこを回しても、天皇の追悼番組一色だった。NHKも民放も、どこも似たり寄ったりの内容を一日中繰りかえし放送していた。
 マスコミは見事なまでに横並びだった。新聞さえもそうだった。ようするに、同じ情報を各メディアが垂れ流していただけだった。
 他の情報が一切入って来ないので、あのときは恐怖を覚えたものである。もちろん、インターネットがまだ存在していない時代である。
 そのおかげで、レンタルビデオ店がずいぶん繁盛したそうである。その当時は、レンタルビデオ店から映画のソフトを借りて、皇室報道から離れるしかなかったのである。
 そして、日本全国が喪に服してしまって、小さな祝い事や慶事までが、「自粛」ムードのなか「自主規制」させられていった。
 そのことにも空恐ろしさを感じた。
 でも、とても異を唱える勇気がなかった。なにしろ周りがいっせいに敵にまわるのである。組織やコミュニティーにいて、孤立ほどつらいものはない。
 しかし平成に入ってしばらくすると、世の中はまた元にもどっていった。ちょうど、急性疾患がスッと治るような感じでーー。
 ところが今のこの国は、重い慢性疾患におかされているように見える。長い時間をかけてジワジワと罹患し、症状に気づいたときには手遅れ、というようなーー。
 タブーが生まれ、自主規制をうながす空気があちこちで大きくなってきている。それは「いつの間にか」であるが、困ったことに、そんな空気をつくるのは我々庶民である。
 さらに困ったことには、慢性疾患は劇的に治ることも期待薄である。(-_-;)
(photo:郡上八幡にて)