現実逃避の温泉宿

 なんだか疲れたので温泉宿に行った。
 行き先は、美濃地方のとある城下町。クルマで通ったことはあるが、滞在したことはない。
 多少距離があって日常から離れるほうが、精神の休養には効果的である。町内会長という役目のせいか、我が町から離れると気持ちのどこかがほっとする。
 ネットで宿を予約した。「ホテル◯◯◯(地名が入る)」という名称。たぶん、ホテルという名の旅館だろうと思っていたら、その通りだった。
 もてなし産業は、基本的には「クレーム産業」だと思う。客は、満足してあたりまえ。少しでも気に入らないと減点である。ストレスがたまる商売だろうな、と少し同情。
 泊まったのは日曜日だったので、広い館内に客はまばらだった。
 サービス設備が休業していたり、ところによっては照明が落とされていたりと、人の気配が感じられない。暗い廊下がちょっと怖い。
 暖房もセーブしているのか、広い館内は寒々としている。10畳の和室に通されたが、やはり肌寒い。
 とりあえずは風呂につかって暖まるしかなさそうである。この宿も増築をかさねてきたようで、大浴場までは迷路だ。
 さすがに温泉風呂はそれなりにゆったりしていて、落ち着いた造りになっていた。設備が古くなっているようだが、それもいい味としよう。
 温泉宿の楽しみは風呂と食事である。とはいえ、季節限定サービス料金のプランだから、豪華絢爛たる食膳ではない。特筆すべき料理は何もなかったが、我ら後期中年世代にはほどほどがちょうどよい。
 しかし、仲居の「おばあさん」はちょっとかんべんしてほしい。
 高齢化社会、とくに地方では顕著な若者不足。さびれかけた地方の温泉宿に、生きのいい仲居はもはや存在しない。
 そこは、福祉が後退し年金が目減りするという世相を反映して、地元の高齢者が働く場となっている。
 何もおばあさんたちが悪いわけではない。でも、我が身よりずいぶん年上の方々に給仕されるのも居心地が悪いものである。
 地方の人口が減るということは、老人ばかりが残るということである。
 生ビールは切らしているといわれ、アサヒの瓶ビールを頼んだが、ことさら苦いような気がした。古いのかと思って製造年月を見たが、そうでもなかった。(^^ゞ
(photo:郡上城から郡上八幡