イスラムのイメージ

 腹へったと思えば、今の日本ではとくべつな理由がないかぎり、食料を手に入れることはたやすい。のどが乾いた場合でも同様である。
 ところがそういった生理的欲求に、何か制約があるとどうだろうか。たとえばメタボ対策、ダイエット、あるいは病気とか……。
 それは、「消極的自己規制」とでもいうべきものだろうか。だとすると逆に、「積極的自己規制」はどんな場合だろうか。信仰が背景にあれば、そういえるのだろうか。
 有名なところでは、イスラム教徒の「ラマダーン」がそうだ。ラマダーンとは月の名であり、太陰暦で毎年決められている。
 日の出から日没まで一切の飲食をしない「断食月」として知られているが、あくまでも信仰の一環である。今年は6月18日かららしい。
 僕が日本語をおしえている学習者には、インドネシア人が少しいる。イスラムの彼らはラマダーンになると愚直に信仰に従事している。
 日ごろ宗教を身近に意識しない大多数の日本人からみれば、ずいぶんと窮屈に思えるのだが、彼らの姿を見るとある種の清々しさを感じるのもたしかだ。
 信仰心からくる意志の強さ、またそのモチベーションには、そういうこととは縁遠い我々がおしえられることも多い。
 外国人との民間交流のなかでは、政治と宗教の話題には深入りしないほうがいいのだが、相手の事情や信条を尊重すればそれもけっしてタブーではないと思う。
 今、イスラム国に人質となった日本人のために、世界中でイスラム教徒が祈りをささげているようだ。
 それは、イスラムのイメージ悪化を少しでも緩和したい、という側面もあるかもしれないが、彼らのようなことを、はたして日本人は他国の人のためにできるだろうか。
 僕の小さな経験の範囲でいえば、イスラムの人は誠実な人が多い。(*_*)