ねじれた世界の恐怖

 昨日このブログでヨタ話しを書こうと思っていたら、日本人人質のニュースを見て手が止まってしまった。ヨタ話しは延期だ。
 イスラム国のことはニュースで見聞きしているが、日本から遠い地のことであり、また、国としてこれまで目立った対応をしなかったせいもあり、どこか他人ごとだったような気はする。
 彼らの支配地(国と称しているが……)で行われていることは、おそらく我々日本人の想像を絶するのではないか、と思われる。
 暴力と恐怖が支配する世界。豊富な資金が背景にあるとはいえ、こういう集団に進んで参加する先進諸国の若者たちは想像力が欠如している。
 フランスで起きたテロ事件を受けて、欧米諸国では反イスラムの動きが活発化している。極右の連中が活気づいているらしいが、宗教対立がエスカレートしても事態は泥沼化するだけである。
 ムハンマドを揶揄する表現の自由をめぐって論争があるが、際限なく自由を認めればその根っこにある差別まであぶり出してしまう。
 表現の自由はもちろん大切であるが、相手の立場に思いをはせなければ、やがてそれ自体が暴力になってしまう。
 イスラム教でもキリスト教でも仏教でも、大多数は穏健な信者である。どこの世界にも過激でねじれた思想を身に付けた連中がいるものである。メジャーな宗教界でもまたしかり。
 アベシンゾーはいかにもタイミングが悪い。反イスラム国包囲網を援助する、などということを、少なくとも彼らのご近所、しかもイスラエルという場所でぶち上げるべきではなかった。
 想像力がなかった、というべき失態である。アメリカに追随する外交だけでは、アメリカと同じ敵と対峙しなければならなくなる。
 そういう覚悟は国民にはない。僕はまったくない。
 砂漠を背にナイフを手にした黒ずくめの男が、次の行動に移らないことを祈るばかりである。(;_;)