脱力するで「賞」

 人はほめられると、たいがいうれしいものである。けっして意気消沈はしない。
 だから、ほめられるとやる気が出たり、前向きになれたりするものである。ときには、調子に乗ったりするかもしれないがーー。
 しかし、誰にほめられたらうれしいか、ということも重要である。
 たとえば、国にほめられると「勲章」がもらえる。春と秋の2回、世間をにぎわすアレである。
 選ばれた人たちは、最高の栄誉と感じるのだろうか。かしこまっていただく受賞者がほとんどのようだが、あれは「最高の栄誉」だろうか。
 なぜその人が受賞したのかまるで不明である。どういう選考がなされたのかもわからない。
 しかもご丁寧に、アレにはランクがある。一応基準らしきものがあるようだが、そもそも人にランクをつけるのはいかがなものか。
 人それぞれの価値観があるから、喜んで受賞される人たちはそれはそれでいいと思う。お祝いのことばを伝えてもいい。
 ただ、アレは欲しいからといってもらえるものではない。国が勝手にくれるのである。
 オレはどっちでもよかったんだけど、やるっていうもんだからさ……といって気軽に受け取る方もいるにちがいない。
 そういうノリでごくふつうに取り扱うと、どうも右スジの人たちからバッシングを受けるらしい。恐ろしいことだ。
 かの国民的ロックバンドのスターも今ごろは、もらわなきゃよかった、と思っているかもしれない。こんなめんどうくさいものを。
 「立ちションベンもできんようになるがな」
 勲章ではないが、国民栄誉賞を拒否したあるプロ野球選手がいったことばである。
 国民の手本にはなれない、という意味で発したことばらしいが、国が与えるこのような賞や勲章は拒否することに価値があるような気もする。
 まあ、僕にはまったく縁がない世界だけど……。(*_*)