自文化中心主義
ときどき行くホームセンターの一角に、ペット売り場がある。命を扱うので「売り場」ということばには抵抗があるので、「コーナー」とでもいおうか。
そこにはショーウィンドー化したせまい空間に閉じ込められた犬や猫が、見せ物のようになって買い手が現れるのを待っている。
買い物に来た客たちが、かわいい〜、などといいながら足を止めのぞき込んでいる。心優しい飼い主に見そめられれば、彼ら(犬猫)も幸せになれるのである。
ところが最近はペット市場も低価格競争になり、ブリーダーと呼ばれる犬の繁殖業者もたいへんらしい。そのあげく、子犬を大量廃棄や放棄する事件が相次いでいる。
ニュースを見たり聞いたりすると、たいがいの人は、かわいそ〜、という(思う)。ちょうどご飯時なら、焼き肉を食べながら……という状況かもしれない。
欧米人は、商業捕鯨やイルカ漁は残酷だ、という。ときどき、過激な環境保護団体が実力で阻止したりしている。
その理由はいろいろあるらしいが、たとえば、資源枯渇の問題。あるいは、知能が高くてかわいそうだ、食用にするなど野蛮だ、という理由。
個人的には今さら鯨肉を食べたいとは思わないし、今の日本では需要もあまりないと思われる。
しかし、昔から伝わってきた風習や習慣は「文化」だから、他者がかんたんに批判することはさけるべきである。
僕たちはえてしてそういう「自文化中心主義」に陥ってしまいがちだが、そこはもっと視野を広げて考えなくてはいけない。
家畜は食べてもいいが、ペットの動物はダメである。ちがう文化圏へ行けば、家畜とペットが逆転する場合だってある。
そういう想像力や知識が欠如する人たちが住む世界は、ギスギスしてとても住みやすいとは思わない。
アベシンゾーたちが目指している国というのは、どうもそんなところのように感じる。
ーー話しがそれた。(*_*)
(photo:沖縄にて。2013年)