記憶装置の異常

 チリも積もれば何とかで、こんなヨタ文もいつのまにか600回を越えていた。おそろしいーー。
 ほんとうに、このような「塵芥」のようなものを読んでくださる方々には、何ともお礼ともおわびともつかぬ、申しわけない気持ちでいっぱいである。
 ならばひっそりと書いて机にしまっておけよ、といわれそうだが、このような場で物を書く人間というのは他人に読んでもらいたいから書くのだから始末が悪い。
 ところで、最近は書いたこともすぐに忘れてしまう傾向がある。
 ときどき、書いているうちにハッと思いあたり、以前同じようなことを書いたかもしれないなぁ、とキーを打つ手が止まってしまうのである。
 ボケてきたのかもしれない。いや、600回の内容をおぼえていることなど不可能だ。
 記憶力はワリといいほうだが、どうもこの容量の小さい我がハードディスクも、ついにいっぱいになってきたのだろうか。あるいは、クラッシュしたのか。
 半世紀以上使っているが、古くなったからといって交換できないのが困ったところである。OSも古くなってきたしーー。
 よくある記憶喪失シーンというのは、久しぶりに会った相手の名前が思い出せないことである。
 以前はほとんどそんなことはなかったが、我が身にも最近降りかかってきた。
 もちろん、名刺を交換しただけとか、チラっと会った方々までおぼえているわけではない。いわんや、女性だけとくべつおぼえているわけでもない。それでは変質者である。
 携帯電話もなかった若いころ、外から自宅に電話をかけると、ときどき祖母が出た。
 電話口に出た祖母に、「オレだけど……」というと、ばあさんは僕のことを巣立っていった息子たち(僕の叔父たち)と誤解し、次には同居の長男(僕の親父)、さらにはあるときは僕の弟の名を上げた。
 結局僕はいつも、祖母のナンバー4かナンバー5の地位であった。
 叔父たちより弟たちより多く、僕は祖母と毎日顔を合わせていたはずなのに、声の記憶には順番があるのかと、そのうち気がついた。
 オレオレ詐欺にひっかかるメカニズムも、こういうところにあるのかもしれない。祖母は今なら、かんたんにオレオレ詐欺にひっかかってしまうのである。(__;)
(photo:環水公園にて。富山市