プライバシーの選択
自治会では「ゴミ当番」がある。一般ゴミではなく、資源ゴミや粗大ゴミのたぐいなのだが、うちの町内会では班単位で年2回まわってくる。
朝早くから集積所に出向き準備しなければならないので、冬場はちょっとつらい。
夜間にこっそり持ち込む連中も後を絶たず、まずはそちらの置き土産から見なければならない。
だいたい人目を忍んでやってくるくらいだから、やましいという自覚があるのかもしれないが、置いていく物もかなり怪しい。
業を煮やして、監視カメラをつけろ! という声も少なくないが、犯人を特定できたところでタイホできるわけではないので、あまり賢い防止策とはいえない。むしろ地域の人間関係を壊すおそれがある。
プライベートをあばくような監視カメラは、あまり好きではない。しかし、「ゴミ」というのはとても興味深いプライベートである。
ゴミをチェックして情報を得るのは、インテリジェンスの常套手段でさえある。
たとえば、空き缶。ゴミの日に空き缶をガラガラと捨てる。当番の近所住民環視のなかでおこなうその行為は、ひとつのプライバシー公開である。
え〜? ありえん! エビスとプレモルの缶ばかりじゃん。あいつ、総会で町内会費が高い、って吠えてたじゃん……。
などと、麦とホップでがまんしているゴミの日担当の隣人から顰蹙をかう……かもしれない。
それがワインの瓶でも、日本酒の瓶でも起こりうる。しかしたぶん、調味料関係では起こらない。
雑誌書籍関係も危険だ。こちらは、趣味や思考、趣向や思想などがバレてしまう恐れがある。とくにあっち方面のややこしい本は、堂々と捨てられないだろう。
なんだかゴミ集積所には、互助システムの裏側に相互監視システムが機能しているようである。ゴミの分別は確かに重要だが、一方でプライバシーの問題がつきまとう。
幸い、いつでも好きなときに捨てられる民間業者の集積所もある。資本主義のシステムを考えると、民間業者も競争原理のなかで健全に生き残ってほしい。
選択肢がある方が、住民もストレスが少ない。(^^ゞ
(photo:能郷白山から御嶽山遠望。噴煙が見える)