プライバシーの問題

 ある日、ベトナム人実習生のRさんが浮かぬ顔をしていたので、どうしたの? と聞いてみた。すると彼女は、まもなくやって来る新しい実習生のことを話しはじめた。
 浮かぬ顔の原因は新しい後輩や仕事のことではなく、日常生活についてであった。
 現在彼女と同僚の実習生たちは、ファミリータイプのアパートに住んでいる。たいがいは築年数がずいぶん経過した物件である。彼らも例外ではない。
 一戸を何人かでシェアしていて、場合によっては一部屋に二人、三人詰め込まれている。これは彼らが望んだわけではなく、通常は実習生を斡旋する「協同組合」が住居を用意するからである。
 まるで奴隷部屋かタコ部屋のようだが、これが日本が制度として実施している「外国人技能実習生制度」の一断面である。まあこれについては、これ以上ここでは触れない。
 Rさんは現在、3LDKの1部屋を専有して生活している。ところが、後輩たちがやってくると部屋をシェアしなければならないそうである。
 つまり今は、曲がりなりにも安らぎを得られる自分だけの空間があるが、それがまもなくなくなるのである。
 Rさんの憂鬱の原因は「プライバシー」である。
 プライバシーは人間が生きていく上で、根幹にかかわる問題である。親しい間であっても、守るべきプライバシーはある。動物園の動物にも必要である。
 うかつに鼻くそがほじれない。屁ができない。パンツ一丁でくつろげない。……などというのも困るが、一番の問題はそこではない。
 人はプライバシーが守られた状況のなかで、はじめて精神を解放する。そこに自由な発想や思考が生まれる。
 逆に、プライバシーがない状況では、常にストレスにさらされているのである。そこでは他人の目があるから自己規制してしまい、行動が制限されるのである。さらには周囲に同調してしまう恐れがある。
 プライバシーがない世界の恐ろしさはそこにある。これは、権力側にとってはまことに都合がいい。
 じつは、僕たちは国の政策によって、ジワジワとプライバシーを明け渡してきているのである。
 いつも明るいRさんだが、その話しになると顔が曇る。「組合」の人にいってみるけど……とはいうが、どうも悪徳「組合」のにおいがする。(`_´)
(photo:収穫したゴーヤ。今年は遅まきである)