トシ相応の顔

 自分の顔を鏡でしげしげと見ることはあまりない。髭を剃るときにチラっと見る程度だ。
 使っているのは電動シェーバーだから、剃り残しがないかさっと見るだけである。剃ったあとニヤリと笑ったり、百面相をしたりはしない。ーーほんとうだ。
 最近抜け毛が少なくなった、と思っていた。ところが、色の濃い服の肩などに白い毛がよくついているのだ。ーー白髪である。
 それで、あらためて自分の顔を鏡に映してみると、いつのまにか髪は白が優勢になっているのを発見した。
 まあ、今さらショックではない。総数も少なくなってきている状況では、白でも黒でもどちらでもいいのである。
 バランスをとるために、そろそろ髭でもたくわえようかと家人にもらしたら、即座に却下された。汚い! 不潔! といわれ、人格を否定されたような気がした。
 髭はともかく、鏡の顔はやはりずいぶんくたびれていた。
 言い換えれば、「トシとった」である。ひいき目にみて、「トシ相応」というところだろうか。イチローも40だから、やむをえまい。
 しかし、アンチエイジングに励む気はない。
 自営で仕事をしていた亡くなった叔父は、60代でも髪を真っ黒に染めていた。顧客に、トシに見られないように努力していたようである。
 叔父の場合は、アンチエイジングというより営業上のイメージ戦略? というところだろうか。
 かなりおトシでも、髪が真っ黒というご老人をよく見かける。じいさんは髪が残り少ないので、ばあさんに多い。
 あれはけっこう不自然である。身体の他の部分とのバランスを欠いている。頭髪だけ浮いて見えることもある。
 僕は「トシ相応」でいいのである。髪が白くなって抜け、皮膚はたるみ、シワやシミが増えていくのである。
 若さの残滓はどんどん無くなってしまうが、それと引き替えに得るものもある……ハズだ。(・_・)
(photo:立山、弥陀ヶ原にて)