8月15日のこと

 性格的にはおとなしい方だったので、子どものころは、友だちや同級生と取っ組み合いのケンカをした記憶がほとんどない。しかし、友だちや同級生同士のケンカを見ることはたびたびあった。
 そういう場面では、たいていの場合、リーダーシップのある奴や先生が仲立ちをしてケンカはおさまるのである。
 しかし、どうしてケンカに発展したのかはあまり問題視されずに、いわゆる「ケンカ両成敗」で決着がはかられる場合が多かった。
 それではケンカした双方とも納得できないだろうなと、子ども心にもそう思ったものである。
 8月15日は69回目の終戦記念日だった。日本が連合国に降参した、一部の人たちにとっては屈辱の日であったかもしれないが、大多数の無辜の国民にとっては、ほっとした日として歴史に記録されてきた。
 アメリカによって日本列島は壊滅状態となった。最後は「ヒロシマナガサキ」でとどめを刺されたのである。戦場となったオキナワとともに、大きな犠牲を強いられた。
 ところが、日本が侵略した中国やアジアの国々にとっては、この日は戦勝の日であり、輝かしい栄光の日である。もちろん、多大な犠牲のうえに勝ち取った栄光ではあるがーー。
 子どものケンカとはちがって、現実の戦争の勝敗は厳しい。先の戦争の場合は、勝者が敗者を裁き、勝者が敗者を支配した。けっして「ケンカ両成敗」ではない。
 勝者も敗者も程度の差こそあれ、あまたの犠牲をはらい、疲弊し傷ついた。それは取り返しがつかないことがほとんどである。
 だから人々は、勝者であっても敗者であってもプロセスをきっちり検証し、失敗を繰り返さないように備えるのである。
 しかしこの国は、そういう作業を怠ってきたために、またしても同じ失敗の道に踏み入ろうとしている。
 どうも「ケンカ両成敗」の思想がこの国の土壌に残っていて、すべてを水に流し同じことを繰り返してもへっちゃらな空気があるようだ。
 そう思うと、「玉虫色」も大好きだし、土下座したり号泣したり、あるいは遺憾に思ったり、不徳の致すところがあったりと、カタチだけの謝罪も大好きである。
 ーーなどと、終戦の日に考えた。(-。-;)
(photo:根子岳山頂にて。2,207m。2013年)