町内会の事情

 自治会(町内会)の役員は、「ボランティア」といえるのだろうか。
 ボランティアの要件は、「自発性」「公共性」「無償性」である。それを当てはめてみると、町内会はどう映るのだろうか。
 まず「公共性」を考えてみる。役員は地域のためにはたらいているわけだから、これはまちがいなく該当する、といえるだろう。
 「無償性」はどうだろうか。多少の手当が出ている町内会は多いときく。活動に必要な通信、移動、費やす時間などを鑑みれば、多少の手当ではすまないかもしれない。
 だから、応分の手当がもらえる、ほぼ仕事として専従するケースを除けば、「無償性」は成り立つと考えてよさそうである。
 問題は「自発性」である。インフラや社会制度が整った、いわば恵まれた社会に慣れると、人々は被害者意識ばかりが増大し無気力になる。
 たとえば町内会などでは、よほど大きな問題でも持ち上がらないかぎり、町民は日常生活に困ることはない。極端な話し、近所付き合いをしなくても、町内会を意識しないでも困らない。
 しかし、行政サービスが住民の隅々まで行き届かないところを、町内会が補完している現状を考えれば、町民なら誰しも町内会の恩恵を得ているのである。たとえば、ゴミの問題、外灯や安全安心な住環境の問題を考えれば明らかだろう。
 ある程度満たされた地域社会の人々を動かすためには、強い動機と目標が必要である。それがないかぎり、町内会の役員は輪番制でまわしていくことになるのである。
 そこにはすでに「自発性」はない。役割に従事するなかで、「自発性」に目覚めることももちろんあるだろうが、そこにあるのは「奉仕」である。
 日本では、ボランティアといえば「無償性」がまず念頭に浮かぶ人も多いかもしれないが、「自発性」なくして100%「ボランティア」とはいえないのである。
 じつは今年僕は、町内会の役員をしている。我が町内会も役員は互選ではなく、ほぼ「順番」である。(-。-;)
(photo:ミヤマクワガタ唐松岳付近にて)