アイドルの受難

 数年前中国で日本語をおしえていたときに、AKB48の存在をはじめて知った。それは、中国人の学生たちがおしえてくれた。嘲笑というおまけつきで。
 学生たちはときとして、けっこう日本のディープなサブカルまで精通している。そのときは、そういうものの一種だろうと思った。
 AKB48というユニットが、メジャーな人気があるとは思わなかったのである。だからずいぶんあとになって、彼らの嘲笑の意味が理解できた。
 日本人として恥ずかしくはなかったが、日本語教師としてはやや情報収集能力に欠けていた、と少し反省した。
 しかし今もってAKB48に興味はない。興味がもてないのだからしかたがない。外国人からおしえてもらっても、それはそれでいいと思っている。
 つい最近、メンバーが暴漢に襲われるという痛ましい事件があった。気の毒であり、同情を禁じ得ない。身体の傷はもとより、心に受けたダメージも心配である。
 犯人の、ファンサービスを逆手にとった凶行はけっして許せないが、そもそも「握手会」にかくも大勢の方々が押し寄せる状況がおどろきである。
 「あこがれのアイドル」という存在はよく理解できる。しかし、アイドルと会って話したり交流したいとは思わない。
 何かの偶然やきっかけで個人的に知り合った、という状況ならべつだが、営業ベースのイベントでは、ファンという金づるに対する免罪符的なサービスにすぎない。
 アイドルのとらえ方が、時代とともに変わってきているのはまちがいないだろう。
 SNSやブログによって、アイドルが身近になり動向を追えるようになれば、アイドルとの距離が接近したと錯覚するのもむりはない。
 「握手会」はなかなかいいアイデアだったと思う。しかし、何かのサービスを受けるために行列に並ぶという行為は、やろうとしていることがあからさまな分、それは少しカッコワルイな、と思う。
 そんなことを思うのは、おかしいのだろうか。(__;)
(photo:鈴ヶ岳、ブナ林のなかを歩く)