本の問題

 週に2〜3回は本屋に行かないと落ち着かないほうだった。行けばかならず何かを手にしてレジの前に立っていた。そうやってどんどん本や雑誌が溜まっていった。
 近ごろは、そういう一連の習慣を少しマズイと感じはじめ、なんとか本屋通いを週1にするように改善している。
 で、買い込んだ本は順次読んでいくわけだが、残念なことに読んだ端から忘れてしまうのである。
 読んだ本は溜まるが、この空っぽ頭には知識が一向に溜まらないのである。これじゃあ堪らない!……とシャレている場合ではない。
 じっと鏡を見ると、そこに見えるのは教養が身についた理知的な男の顔ではなく、ただのしょぼくれた初老のオッサンなのである。
 どうもこれは、もしかして壮大な時間と金をムダにしてきたのではないかと、最近ではさすがに心配になってきた。
 「どんどん頭に入る本の読み方」、などというハウツー本を、明日さっそくさがしに行かなければなるまい。
 近年は電子書籍というものもあって、本屋で本を買い込まなくても本を読める時代になってきた。しかし、あれはどうもなじめない。はっきりいって、つまらない。
 本はやはり総合芸術である。リアルな「物体」が「本」というものである。
 といっても、リアルな物にも問題はある。「物体」には質量があるのである。
 したがって、壮大なムダのあげくにさらに、彼らを保管、収納するスペースやその費用が発生するのである。
 まあ要するに、捨てられない、ということだ。本を読む習慣がない方々にとっては、バカじゃないの、と思われてもしかたがない。バカかもしれない。本を読んでバカになったのかもしれない。
 自宅の一室を開放して私設図書館にするのはどうだろうか。
 しかし、ひまなジジババの一時待避施設になっても困るしなぁ。もっとも、蔵書がとても偏向しているので誰も寄りつかないかもしれない。
 フリマでバーゲン、っていうのもどうか。しかしここでも偏向図書の問題はあるし、運ぶのも大変そうである。
 やっぱり、「蔵書の整理の仕方」などという本を買ってきて勉強するしかなさそうである。(;。;)
(photo:カラスノエンドウ。庭にて)