ダーティなハト

 たとえばそれが仕事であるなら、多少のがまんは了解のうえで従事するものだが、ボランティアなど仕事でない場合だったらそうもいかない。
 とりわけ、人格が完成した人にこちらの考えを理解してもらい、実行に移してもらうことなどは、ときとして議事堂の前で脱原発を叫ぶことよりも徒労に終わることがある。
 頑固、といえば場合によってはいい意味にも使われるが、融通が利かないとか人の話しに耳をかさない、というような相手になると、欧米人のように困惑顔に肩をすくめお手上げのポーズをとるしかない。
 そういう人はたぶん「いい人」なんだと思う。悪いやつというのは人の話しに注意を払い、虎視眈々とチャンスをうかがう。そして、悪いやつは笑顔でやってくる。
 田舎の人は「素朴」だ、といわれる。親しくない相手に、笑顔を見せることなどけっしてない。それどころか、意地悪く相手をためしたりする。それは素朴さの、一方の表現でもある。
 最近の我が所業をふり返ってみると、そのようなゲームの迷宮に入りこんだように、いろいろな方面と軋轢を生んでいる。
 墓穴を掘ったり誤解されたり、はたまた調子に乗ったりと……。杉下右京ではないけれど、細かいことが気になって思い悩む。
 「五月病」ということばが思い浮かぶ。しかし、第2の思春期のようなある種カジュアルな疾患など、還暦近くのオッサンには似合わない。
 「いい人」と付き合うのは大変である。ときどき、思いがけずエネルギーを消費することもある。
 「正しいことを主張する人」もやっかいである。琴線に触れれば、取り付く島がない。しかもへそを曲げる。
 悪いやつらが跋扈するのは、今の日本か……。そういえば連中は笑顔でやってきた。口当たりもよかった。しもじもの不満をすくい取った(フリをした)。
 昔、『続・夕陽のガンマン』(セルジオ・レオーネ監督/1967年)という映画があった。マカロニ・ウエスタンの傑作である。英題は『The Good, the Bad, and the Ugly』。さしずめ「いいやつ、悪いやつ、卑劣なやつ」と訳そうか……。
 クリント・イーストウッドが「いいやつ」らしいが、とてもそうは思えないねじれたところがまた、マカロニ・ウエスタンのおもしろさだった。
 この国に、そんな “ダーティなハト” がいなくなって久しい。
 ……話しがそれた。( -_-)
(photo:カラスビシャク。庭にて)